六、独自に苦行を行い、牧女が食糧を献げる
太子は2人の仙人に別れを告げ、尼連禅河(にれんぜんが)のほとりの前正覚山(ゼンショウガクサン)で苦行を行いました。彼はもはや師を求めることもなく、独りで木の下に座り、風雨を厭わず、寝ることも起きることもなく、清浄な心を守り、毎日わずかな食物を摂取しました。
太子は正念を保ち、厳しい修行を続け、鳥たちが彼の頭上に巣を作り、葦が彼のひざを巻きつけるのを受け入れ、それでも彼の心と体は穏やかで、何も追い払うことはありませんでした。彼の体はやせ細り、枯れ木のようでした。時間は速く過ぎ去り、気づけば6年が経過していました。
太子は心の中で「このような苦行も最終的な円満成就の法ではない。食事をしなければ体が維持できず、世俗で修行するには体が非常に重要だ」と考えました。そして、彼は尼連禅河のほとりに戻り、衣服を洗いました。他の人が代わりに洗おうとすると、太子は拒否しました。
彼は自らが身をもって模範となり、後の出家者が皆勤勉に苦行するよう促し、他人に衣服を洗わせないようにしました。そして、彼は身体を洗い、川岸に座りました。
その時、2人の牧牛の女性がおり、一人はスジャーターと呼ばれ、もう一人はプンナーと呼ばれ、彼女たちは川辺で牛を飼っていました。彼女たちは太子を見て、尊敬の念が生じ、肥えた母牛を選んで川に連れて行き、その乳を搾り取って、乳粥を蒸し、それを器に盛り、太子の前に持ってきて、礼拝し、奉献しました。
太子は彼女の供養を受け入れ、「食べる者が十分な力を得、施す者が富み、喜び、健康で病気知らず、長寿で賢明になりますように」と誓願しました。また、「私はすべての衆生を救い済度するため、この食べ物を受け取ります」と言いました。太子はそれを食べると、体力が回復しました。
――「明慧ネット」より転載
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