時代と民族を超える輪廻の旅(2)
輪廻と言えば、おそらく多くの人が、仏教の中の六道輪廻の説を連想するだろう。人の本当の生命である魂は、天上、地上、地下という3つの異なる空間の異なる物質と生命の間で転生するというものだ。実は、中国では、この輪廻という考え方は、佛家ばかりでなく、道家の文化でも説かれてきた。皆さんも「鉄の杵を研いで針にする」という話を聞いたことがあるだろう。その中の主人公である修道者「真武大帝」は、輪廻を繰り返しながら何世も修行したそうである。毎回一念の差で人間の心が動いてしまったため、それまでの修行が無駄となり、再度転生して修行をやりなおさざるを得なかった。この「鉄の杵を研いで針にする」という話は、彼が正に円満成就せんとした前夜に起きたことであった。
転生の考え方は、古典文学作品の中でもしばしば見られる。例えば、『紅楼夢』では、冒頭で、賈宝玉の前世が「七彩石」、林薫玉が「絳珠仙草」であり、甘露の恵みに報いるために、賈宝玉と今世で縁を結んだと語られている。
また、民間では、輪廻に関する故事は更に多く、正史に記録されたものもある。例えば、『晋書、列伝第四』には、西晋の著名な戦略家であり文学者の羊祐が、隣家の李氏の息子であったと記載されている。羊祐が5歳の時、ある日突然、乳母に、自分が遊んでいた玩具である金還を探し出すように言いつけた。乳母が、「あなたは元々そんなものを持っていない」と言うと、羊祐は乳母に、隣の李家の桑の樹のそばを探すように言い、果たしてそこから金還が見つかった。李家の主人は非常に訝しがり、「これは亡くなった息子のなくしたものだが、あなたはどうしてそれを持ちだそうとするのか?」と問いただしたところ、乳母が詳細を告げ、主人は驚き嘆くことしきりであった。当時の人々はみな、この事に深く感じ入り、羊祐が隣の李氏のなくなった息子であると信じざるをえなかった。
一方、西洋の文化は、歴史上早期にはギリシャ哲学、後年にはキリスト教の影響を受け、近代以降は、実証主義の科学文化が主流であった。表面的には、キリスト教は、天国と地獄しか認めず、輪廻については説いていないように見えるが、実は、早期のキリスト教では輪廻の説があった。例えば、三世紀には、キリスト教史上で最も影響力のあった『聖書』学者オリゲンが、輪廻について積極的に宣教した。しかし、553年5月の第二コンスタンティのポリス公会議の席上で、当時のコンスタンチ・ノーブル皇帝・ユスティニアヌス皇帝一世が、教皇不在のままに三章問題を指弾し、1500年に渡る反輪廻闘争に火を点けてしまい、それ以来キリスト教徒が輪廻転生を信用しない素地を作ってしまった。当然これらの歴史に対し、人によって見方はさまざまだ。
キリスト教が出現する前の西洋では、ずっと輪廻を信じる伝統があった。古代ギリシャ哲学者のピタゴラスもまた、霊魂が異なる種の中で順次転生し、倫理上の厳格な要求に従えば、最後には浄化し、輪廻から脱すると理解していた。プラトンもまた、霊魂は肉体のように消えてしまうことがなく、輪廻の中で肉体に束縛される、それゆえ、前世の真の智慧を忘れてしまうのだが、悟りを開くことによってはじめて、その真の智慧を思い出すことができるとした。
歴史上、ずっと、理論家や社会の著名人たちが、輪廻の思想について繰り返し提言してきたが、1960年代までは、輪廻を信じたり、それに関心を持つ人は次第に減少していった。ただ、20世紀以降、西洋宗教の教条主義の衰退と社会の文化の多元化につれて、西洋人も輪廻について改めて認識し始めており、60年代に入ってから、関係する学術研究や報道が相次いで発表された。そして、現在では、輪廻転生を信じる西洋人は増加の一途を辿っている。数回に渡る意識調査の結果でも、少なくとも西洋人の25%が、多かれ少なかれ輪廻転生を信じていることがわかった。輪廻の思想は、もはや東方文化であるだけでなく、西洋文化の一部ともなったと言える。
しかも、皮肉なことに、正に西洋の学界が輪廻について興味を持ち始めた頃、輪廻の文化的土壌が最も肥沃であった中国では、それを「非科学的な迷信」と決め付け、歴史のゴミ箱へと葬ってしまったのである。