【大紀元日本3月18日】11日、最初の地震発生の時、私は文京区にある7階の仕事場にいた、急いで階段をつかって外に出た。かなり大きい余震の後で、再びオフィスに戻った。午後4時45分ころ、会社側は電車が動いていないのを知り、社員を早めに帰してくれた。
電車は全て止まっていたが、バスも混雑して時間がかかることを知り、私は電車が開通するのを待つことにした。午後8時45分ころに都営三田線が開通した。三田線で10時ころにやっと大手町に到着したが、千代田線はなかなか開通しなかった。ようやく午後11時20分ごろ、千代田線の大手町から北千住行きまでの電車が開通した。11時45分に北千住に着き、牛丼屋に寄って食事をしたら夜中の12時を過ぎてしまった。駅前にいた警察官に自分の家にたどりつけない由を話したら、千寿小学校に行けばよいといわれた。同じく帰宅できなくなった何人かのおばちゃんたちと一緒に、人に場所を聞きながら午前12時30分ごろにやっと辿り着いた。
小学校にある新しい体育館が臨時の避難場所になっていた。わたしたちはすでにいた多くの人たちと同様、毛布、座布団、飲み水やクッキーなどをもらい、空いている隙間に座った。電話が通じなかったため、自宅にメールを送って安心してもらった。とにかく、翌日の早朝、電車が開通したら千葉県松戸市の自宅に帰ろうと思った。
翌日、電車の開通が午前8時以降になることを知り、10時30分になってから小学校を出た。もしこの避難所がなければ、中国人の友人のように会社から3~4時間かけて歩いた後、西船橋駅で一晩を過ごす羽目になっていたことを思うと、感謝せずにはいられなかった。今思えば、そこの写真を撮っておかなかったのが残念だった。
千代田線の北千住の駅は大変混雑しており、事故にならないように入場制限されていた。午前11時30分ころにようやく電車に乗ることが出来た。駅員さんの話によると、前の晩、帰宅できなかった乗客のために特別に開通させた電車なのだという。電車はとても混んでいたが、私は乗れてラッキーだと思った。お昼の12時過ぎにやっと自宅に辿り着いた。
14日の月曜日の朝も会社に辿り着くまでずいぶんと時間がかかった。皆に話を聞いてみると地震の当日は数時間かけて歩いて帰宅した人たちがほとんどだった。
地震の影響で電力不足になっており、電車もすべては開通していない。また、計画停電もしばらく続くだろう。しかし、被災地である宮城、福島などに住む方たちの事を考えたら、私たちは、これくらいのことは我慢しなければならないと思った。
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