【大紀元日本10月30日】
4.中国人に八股文を習慣化させた党文化
「真面目に×××の模範的事例と崇高な精神を学んで、×××を保って発展させて、引き続き各民族と団結して、×××の偉大な道に勇猛に前進しよう」、「×××の長期性、複雑性、難しさを認識して、×××の仕事を×××の重大な戦略任務として認識して、根気よく続けてしっかり行い、少しでも緩まない」
「党員全員は×××を中心とする党中央の周囲にしっかり団結して、×××を指導にして、×××を全面的に実行して、×××を建設して×××を開くために奮闘しよう!」
以上は中国共産党のある大会の報告書の中の一段落である。このような空洞的な決まり文句は中国共産党の大会、ラジオ放送、テレビ報道、新聞雑誌の至るところに存在する。「党八股言語」は中国共産党官吏の典型的な言語システムで、それに党八股は官吏に限らず、民間でも広く普及している。政府から民間まで、党八股は一種の習慣的な考えとなった。
言っておきたいのは、中国共産党の党首・毛沢東は『党八股に反対』という文章を書いたことがある。しかし、彼の本当の目的は党八股に反対するのでなく、それを理由にして党内のロシア留学の背景を持つコミンテルン派たち、特に共産党の最高指導権を奪うには毛に最も大きい敵と思われた王明に打撃を与えるのが、毛の本当の目的であった。言い換えると、毛は党八股に反対するのでなく、自分の「毛スタイルの党八股」で他のスタイルの党八股に取って代わりたかったのだ。これで、文化大革命に全国民は狂ったように「毛沢東の三編の著作」と「毛沢東語録」を読んで、赤い表紙の「毛沢東語録」を振った時、毛が二度と「党八股に反対」を言い出さなかった原因が分かるだろう。
(イラスト・大紀元)
1)頻繁に聞かれる習慣的な党八股
大会を開くたびに必ず政治上の立場を表明して、空論である豪語を話す。例えば、「党の強い核心が無くてはならない」、「××主義、××思想、××理論、××観が無くてはならない」、「××の正確性が歴史によって証明された」、「××の指導を堅持する、××思想を指導する、××で大衆を装備する、××特色の道に沿って前進する、××の周囲に団結する、××の旗を高く挙げる、××事業の更なる発展に貢献する」など。
指導者が発言する時、部下はきっと「重要な発言」、「××を深く説明した」、「重大な反響を引き起こした」、「重大な意味がある」と褒めて上司にとりいる。
上級部門を代表して発言する場合、必ず「党中央は非常に関心を持って重視している」と言う。
官吏が死亡した場合、代表的な弔辞は「××同志の一生を見渡すと、それは革命の一生で、戦闘の一生で、××事業のために偉大な貢献をした」のようになる。
官吏が過ちを犯すと、きっと「××理論からかけ離れた」、「党の××精神を理解していない」と反省して、これからしっかりやると決心を表明する。
表彰を受けたら必ず党の育成に感謝して、組織の関心と愛護のおかげだと言って、最後に××事業のために更に大きい貢献をしようと意思表明をする。
社会にあるいは党内に何か良くないことが起こると、きっと「きわめて少数」、「きわめて少数の一部」、「少数派の××分子」を使って報道する。国際情勢を分析する時、きっと「西方の××勢力に、私たちは気づくべきだ……」。
また××を指導者にする、××を基礎にする、××を原動力にする、××を保証にする、××を目標にする、××を中心にする……のような決まり文句がある。ほとんどの幹部は発言する時、発言のレベルを高そうに見せるため、決まり文句をたくさん使う。
ほかに、時代の政治宣伝スローガンを取り入れる決まり文句もある。例えば、「三講」、「三つの代表」、「法律に基づいて国を治める」、「徳を以って国を治める」、「社会主義市場経済」、「社会主義初級段階」、「貧しいのが社会主義ではない」、「平穏は全てに優先する」、「発展戦略三歩」、「近代化に、世界に、未来に向かう」、「中国の特色を持つ社会主義」、「一国二制」、」「改革開放を堅持する」、「四つの基本原則を堅持する」、「時代とともに進む」、「調和のとれた社会」など。
決まり文句を皮肉的にまとめると、会議はみな「盛大」だ、閉幕の時はみな「勝利した」のだ、演説はみな「重要」だ、決議はみな「通過される」のだ、拍手はみな「熱烈」だ、指導者はみな「重視する」のだ、見舞いはみな「親切」だ、進展はみな「順調」だ、任務はみな「円満に遂行した」のだ、業績はみな「巨大」だ、仕事はみな「しっかり」だ、効率はみな「高い」だ、やる気はみな「満々」だ、チームはみな「団結する」のだ、大衆はみな「満足する」のだ……どれもが典型的な八股文である。
文章の最後に、よく「××の努力のもとで、××がきっと……」という決まり文句を使われる。
文芸、娯楽、日常生活の中にも党八股の話し方が溢れている。
『四郎探母』は有名な京劇だが、中国京劇院設立五十周年記念のために出版した京劇代表演目シリーズに『四郎探母』が選ばれて、そのDVDのカバーに、いきなり「半世紀以来、中国京劇院は党の文芸方針の指導のもとで、既成の事業を受け継ぎ将来の発展を切り開いて、視聴者に好評される多くの優秀な伝統演目と近代京劇を舞台化して、多くの芸術人材も育成した。国家レベルの芸術団体として、中国京劇院は民族の芸術を伝承して民族精神を発揚して、社会の進歩と国内外の文化交流を促進するために積極的に貢献をした」という紹介文が書かれた。
『四郎探母』の物語は数百年前に発生して、京劇の舞台で二百年近く演出されてきた。シナリオが良くて演出が上手なためにずっと歓迎されるが、中国共産党と何の関係もない。逆に、京劇は中国共産党に痛ましく破壊されたことがある。京劇界の「四大老生」の中の馬連良、奚嘯伯、周信芳、「四大名旦」の中の荀慧生と尚小云、および有名な武劇役者の蓋叫天はみな残酷な迫害に遭わされた。そのため、上記の紹介文は完全に事実を離れた、当局の好感を買うための党八股の話で、京劇に対する冒涜にもなるといえる。
「潮州菜」と名づけられる広東省潮州地方の料理は数千年の誇らしい歴史を持つが、『中国正統の潮州菜』という本の前書きに、「新中国の創立以来、潮州料理はまた新たな発展を遂げた。特にここ十数年来、改革開放の春風は潮汕地区に経済の飛躍をもたらした……今、潮州菜は全盛期に入っている」と書かれた。正統料理といえば、もちろん古ければ古いほど、伝統をしっかり守るほど良いものだが、改革開放の春風は鍋の中にまで吹きこんで、潮州菜の「全盛期」をもたらしたのか? さっぱり理解できない。これも同じように一種習慣になった党八股の表現である。
党八股の言葉は実に気持悪いものだと、中国人は誰でも思うだろう。一方、中国国民はどうしてこんなに頻繁に党八股の表現を使って、ないし一部の人は党八股を恥どころか、栄光にも思っているのか。 その裏にいったいどのような心理が隠れているのか。
(続く)
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