【大紀元日本12月6日】私の着物との出会いは十五年前、入籍の報告に主人の実家の呉服店を訪ねた時、義父が上機嫌に、「祝いに着物の一枚でも作らないとな。どれがいい。」と三枚の反物を広げました。
私は着物の事など全く分からず恐縮しきり。隣にいた主人は並んだ反物をしばらく眺め、水色の中国刺繍の反物を指差しました。義父はククッ、と笑い、「そうだな。これが一番上等。」と満足そうに私の襟元に当てました。
それから二年後、長男のお宮参りにその着物を着たのですが、帰宅後、脱いだ着物の畳み方が分からず主人が畳んでくれました。
その時、「自分の着物を旦那に畳ませるなんて情けない。ちゃんと勉強して、義父から頂いた大切な着物に責任を持とう。」と思いました。
それから着物の雑誌や本を何冊も読んで猛勉強。分からない事を義父に尋ねると喜んで教えてくれました。
主人は、「父があなたと着物の話をしてる時は本当に楽しそうだ。娘がいなかったから余計に嬉しいんだろう。」と言い、私が着付け教室に通い始めた時も快く子守を引き受けてくれました。
何とか着付けが出来るようになると、ネットを通じて着物イベントなどに参加するようになり、義父に写真を見せてはアドバイスを貰っていました。
昨年の秋、義父が末期の癌で入院。お見舞いと看護に通う日々が続きました。鎮痛剤のため意識が朦朧とする事も多かったのですが、体調の良い時に着物の話をすると、目を輝かせて話す義父。私はこの時、本当に着物を着るようになって良かったと思いました。
義父と着物を通じて話した事、笑った事が今となっては宝物だと。
十月、七五三祝いの三歳の娘を連れて訪ねた際、私が見立てた祝い着も、附下げを着た私の着姿も、「上等。」と褒めてくれた義父は、その二ヵ月後に他界。
心残りはありますが、「父はあなたみたいな娘が出来て幸せだったと思うよ。」と言う主人の言葉を信じ、これからも着物を愛していこうと思います。
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