漢字の芸術表現 篆刻

【大紀元日本1月29日】篆刻(てんこく)とは、章を作成する行為である。中国を起源としており、主に篆書を印文に彫ることから篆刻というが、その他の書体や図章の場合もある。篆刻は漢字の芸術表現として「詩、書、画、印」という伝統四芸の一つになっている。

 篆刻の歴史

 篆刻の歴史は、3千7百年前の商朝まで遡り、盛んな時期が2回あった。第1次は戦国、秦、漢、魏、晋、六朝の時代で、この時期の篆刻は主に玉、金、歯、角などの材料を使い「古朝篆刻芸術の時期」と称された。唐、宋、元の時代には楷書が篆書に取って変わったため、篆刻は下り坂になった。元朝の末期に画家の王冕が印彫りに使いやすい「花乳石」という石材を発見し、広く使われるようになった。その後、篆刻は復興期に入り、明朝と清朝は篆刻の第2次隆盛期となり、様々な流派も現れた。

 印章の称呼

 周朝(紀元前1046年から紀元前256年頃まで)以前には、印は「璽」あるいは「璽節」と呼ばれていた。しかし、秦朝には皇帝の印しか「璽」と呼ぶことができなくなった。漢朝には皇帝の印を「璽」と呼び、臣下の印は「印章」あるいは「章」と呼んだ。唐朝に則天武后が政権を握った後、「璽」と「死」が似ているため、皇帝の印は「宝」と呼ばれるようになった。唐玄宗の時代以後、清朝まで「宝」は皇帝の御璽の専用名称であった。宋朝以後、印章に「関防」、「押字」、「符」、「契」、「記」という呼び名も現れた。印章は認証のしるしという使命は今も昔も変わらないが、唐朝以後、遊び印が現れ、徐々に芸術鑑賞品に変わっていった。

 時代とともに変わる篆刻芸術の特徴

 漢朝の篆刻芸術は優雅な気品、渾然とした字体、穏やかさの中に雄大さがあり、理性の中に躍動があるという特徴によって高く評価されており、篆刻芸術の頂点とも言われている。

 後世、特に現代になって、篆刻の作品は、随意と悠然を求め、個性が突出して規則にとらわれず変化した芸術形式を追求した結果、文化の内包が徐々に少なくなり、派手な外形がありながらも優雅な気品が感じられなくなった。篆刻芸術の本質的特徴から遠く離れ、金石学の伝統内包と様式に背離して、文化の根本を失ってしまった。このような変化は、人心の没落と変異を反映し、名利にかられた結果、芸術性がますます低くなったようだ。

 篆書の芸術は秦・漢以後、千年ほどの間は低潮になり、明・清になってから再び光が当てられ輝きが戻り、特に篆刻は書、画と同等に扱われるようになった。清朝は金石、文字、歴史の考証、学術研究の方面において、業績が優れ各朝を越えている。これは大清皇朝の特色を体現していると同時に、神の按排も現れている。それによって歴史を積み重ねてきた文化芸術が掘り起こされ、現代の人類に伝統文化の素晴らしさを教えると同時に、正統文化の道に復帰するための道を示している。

(翻訳編集・東山)