【大紀元日本4月7日】多くの人は、中国語がとても学びにくい言葉だと思っています。この地上で最古の言語について掘り下げることは、冒険的ではありますが、実に満足のいく経験でもあります。一文字一文字の漢字に秘められた意味を学ぶことは喜びであり、充実した体験です。しかし、これらの内包を英語で直接言い表すことは難しく、まさしく果敢な挑戦となるわけです。難しさの面で「神韻」の翻訳に勝るものは他にありません。
「神」とは神聖なる存在を意味しますが、西洋人にとってGod(神)とは天を司る単一の存在を意味し、まずここで難題に直面します。中国では、数百にのぼる神々、仏、仙人が、中国史の正典に記された数千におよぶ豊かな奇譚に登場し、物語を彩ってきました。
そして、この「神」の概念が「韻」という言葉へと違和感なく繋がります。「韻を踏む」の「韻」という言葉ですが、これは「神が韻を踏む」という意味でしょうか。そう簡単には翻訳できないのです。「韻」は、個人の挙動すべて、踊り手の微妙な動きのすべて、つまり「体を通して表現されるもの」を暗示しています。
神韻の舞台をご覧になったことのある方は、私と司会役のもう一人が、舞台で「神韻」の発音の仕方を教えていたことを覚えていらっしゃるかもしれません。舞台では、ブログのように中国語の微妙なニュアンスを伝えることはできません。そのため公演中は、単に「神韻」とは「神々の舞の美しさ」であると端的に説明していました。
なぜ「神が韻を踏む」ことが「神々の舞の美しさ」になるのかと困惑されるかもしれません。「韻」という文字に、「個人の挙動」という意味があることを鑑みれば、「神韻」という言葉の意味を「神の表現、あるいは神を代表するもの」と捉えることが可能です。中国の歴史の上で、この感覚は舞踊を通して表現されてきました。中国古代の敦煌洞窟の彫刻と壁画を見てください。優雅で慈悲にあふれる天上の崇高な美しさが、女神の舞の姿形、美妙な表現を通して表現されています。これが「神韻」の真髄なのです。
私の拙い説明でお分かりいただけましたでしょうか。このように説明してはみましたが、私の言葉による説明より、実際に舞台で舞うダンサーたちの方が、遥かにうまく天上の美を表現していることに、皆さん同意されることでしょう。
中国伝統の復興を掲げ、毎年世界巡回公演を行う神韻芸術団。団員たちは世界各地で様々な体験をしているようです。アーティストたちの目線で描いた世界の街角、食べ物、お祭り、ニュース、また練習秘話などの出来事を、この【神韻ブログ】コーナーでご紹介しています。
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