【大紀元日本4月1日】50年ぶりに再会した高校時代の友人が、知人の集まりで筑前琵琶の弾き語りを披露するのを聴いた。その日の曲目は「母」がテーマということで、人さらいに連れ去られたわが子をたずね歩く母の話「隅田川」と、追手から逃れるために3人の幼子を連れて雪の中をさまよう母「常盤御前」の2曲だった。美しい古文で語られる物語に、高くまた低くベンベンと鳴る琵琶が情趣をそえる。母の心情が直に聴く者の心に届く語りだった。
友人の名は渡辺幸子さん、当時の幸子さんは高校野球や、部活の陸上競技に熱中する凛々しい女子だった。それにもう一つ熱中していたものはロシア文学、彼女の影響でトルストイやドフトエフスキーに親しんだ級友は少なくなかったと記憶している。その後、彼女は当然のように、大阪外国語大学のロシア語科に進んだ。
現在、幸子さんは地域の催しや自宅を開放して琵琶の弾き語り会を開く一方、二つの読書会を主宰する。「世界文学を読む会」と、もう一つが日本の古典文学を読む会「古典サロン」である。ロシア文学から日本の古典文学へ。50年の歳月がどのように幸子さんを「古典サロン」へと導いたのだろうか。3月の例会に参加して話を聞いた。
「古典サロン」は「源氏物語を読む会」として99年に5名で発足した。岩波古典文学大系をテキストに毎月一回の例会で、それぞれ担当する箇所を決め、下調べをして発表するという形で始まった。
「古文の授業以来、古典を読むこともあまりなかったので最初は大変でした」とメンバーの一人、山田さんは当時を振り返る。当初、一回の例会では5ページを読むのがやっとだったという。その後、慣れるにしたがって読むテンポも上がり、メンバーも増えていった。『源氏物語』の途中で参加した小倉さんは「解説が聴けると期待していたのですが、自分でやらなければいけないと聞いてびっくりしました」「でも、それがよかったのです。読めたという達成感でどんどん楽しくなってきたのです」と話す。皆さんも「そう、今まで続いたのは何と言っても楽しいから」と異口同音に。
「それぞれが異なる参考書を使っているので、いろいろな解釈があることが分かって、これも面白い」と幸子さん。初めは自分の担当箇所を読むだけで精一杯だった人も次第に余裕ができ皆が調べてくるようになると、解説を読むだけでなく自分なりの見解をもって話し合うことになる。最高齢で80代の寺本さんは大判のノートに小さな文字でびっしりとそれを記録しているが、出版すれば面白い参考書になるだろうと幸子さんは言う。
「須磨がえり」「宇治どまり」などという言葉もあるそうだが、途中で挫折することなく最後まで読み終えたときには12年の歳月が流れていた。その間、源氏物語千年紀などもありメンバーが増えたが、今は8名に定着している。それぞれが希望する作品を取り上げ、『方丈記』(鴨長明)『世間胸算用』(井原西鶴)『更級日記』(菅原孝標の女)と読み進み、昨年11月から読み始めた『小倉百人一首』も間もなく百首目となる。次は『竹取物語』を読むことになっている。
源氏物語を読了した後、『方丈記』を希望したのは幸子さんだった。平安時代末期に京の都を次々に襲った大火・竜巻・地震などの天変地異の記録を、1945年3月の東京大空襲時の著者自身の体験に重ね合せて『方丈記』の世界を浮かび上がらせた、堀田善衛の『方丈記私記』と並行して読むことを提案した。そこには、幸子さん自身が神戸で経験した95年の阪神大震災の衝撃の体験が重なるのだ。「恐れのなかにおそるべかりけるは、只地震なりけりとこそ覚えはべりしか」という『方丈記』の一節には「共感なんて優雅な言葉では言い表せない。全身でもって肯いた」と幸子さんは語った。
震災の後、泉南市に居を移した幸子さんは友人から届いたお見舞いの書籍の中に、以前から世界的な視野を持つエッセイなどを愛読していた、堀田善衛の一冊を見つけた。『方丈記私記』だ。「日本古典文学もこんな風に読めばいいんだ。『方丈記』ってこんなにエキサイティングな本だったんだと開眼させられた」と幸子さんは話す。「鴨長明の人物像を文芸に興じる数寄者というイメージから、冷徹な目で時代、わが身、わが心を見つめる、現代に通じる興味深い人物なんだと理解した」とも。
琵琶の弾き語りをしながら『平家物語』を読むのが、「古典サロン」の夢だとか。
「皆が元気なうちに実現させなくては」と幸子さんは微笑んだ。
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