【歴史今日】

三蔵法師の舎利子 台湾に分骨

「西遊記」で有名な玄奘法師(三蔵法師)。日中戦争中、日本人が彼の遺骨を日本に持ち帰った事をご存知だろうか。現在、玄奘法師の遺骨は埼玉県にある慈恩時に奉安されている。

中国の明の時代に書かれた小説「西遊記」。玄奘法師(三蔵法師)が白馬に乗って孫悟空、猪八戒、沙悟浄を供に従え、天竺(インド)へと取経を目指す物語である。

玄奘法師は帰国後、持ち帰った仏典の翻訳に残りの生涯をかける。持ち帰った経典は650部あまりで、その約3分の1しか訳せなかったというが、彼が翻訳した経典の数は、大般若経600巻をはじめ75部1335巻にのぼる。

玄奘法師の遺骨は、1942年の日中戦争中に南京で日本軍によって発見され、一部を日本が持ち帰った。

1955年、日本佛教会は日台友好のため玄奘法師の遺骨を台湾分骨した。現在は台湾有数の景勝地・日月潭の玄奘寺に奉安されている。

この日月潭玄奘寺は唐代の建築様式が採り入れられており、前方に日月潭を臨み、後方には青龍山を従える。風水的には「青龍戯珠」といわれ、玄奘舎利子を奉安するには最良の場所である。

(翻訳編集・山本アキ)