ソ連の「フリー・ラブ」実験の失敗(1)
「フリー・ラブ」「性の解放」と聞くと、70年代のヒッピー文化を思い出す人は多いだろう。しかし、その50年ほど前に、共産主義政権ソビエト連邦が、伝統的な家族の形を崩壊させるために利用した思想のひとつだった、ということを知る人は少ないかもしれない。
家族の形を壊したソ連
共産党は、工場や土地のような「資本の生産機能」を没収して国有化するだけでなく、家族制度を崩壊させていった。婚姻関係のない男女の同棲を広く認め、婚外子は実子と同権とみとめられた。
キリスト教に基づく伝統的な夫婦の価値観が壊れ、性欲に制限をもたらさない「性の解放」思想が蔓延した。男性の多くは、この党の路線に賛同した。
共産主義者たちは女性たちを「奴隷」にした。家族ではない人々のために家事をし、実子ではない児童の世話をしなければならなかった。今日のような家電など一切ない20世紀初頭。当時のことを知る人の記録では、「(国営)工場で働きに出た女性のほうが、むしろ自由の身だった」と語る。
子供たちはどうしていたのだろう? 早くに母親から引き離され、幼稚園、保育所、学校に行く。そこでは教師らが「君たちは解放された」と教え込まれる。社会主義国の未来を担う次世代の歯車として、教育されていった。
伝統的な価値に基づくロシアの法律では、結婚は宗教上の原則のうえで成り立っていた。離婚は、不倫や夫が扶養義務を放棄した場合、または生殖器の機能障害などに限って、認められていた。
いっぽう、伝統の破壊をおこなう共産主義者は、マルクスの指示どおりに伝統的な法律を撤廃し、1918年、家族法を制定した。この法律は女性、国家、革命の分野で「世界で最も革新的な家族法だった」とカーネギーメロン大学の歴史教授ロシア史専門家であるウェンディ・ゴールドマン教授は示した。
共同体 結婚や夫婦の意味をわからなくした
当時の風潮では、宗教的な結婚の儀式は意味をなさないと考えられていた。かわりに登記所が設置され、カップルはそこで記録するだけで、結婚を成立させることができた。離婚も同様に簡単だった。
1927年に家族のロシアの作家であるP. Zagarinはこう表現していた。「離婚はとても簡単で、お金も時間もかからない。現行の法律なら、結婚を解消するのに15分たらずで済む」と書いている。
非現実的な理想を描く共産主義は、「共同体」により、女性を結婚から解放し、家族を解放できたと宣伝する。しかし、男性にとっては、家族を放棄する言い訳を与えた。多くの男性は、妻子を養う義務はないことに気づき、離婚して、若い女性に走った。
1918年、モスクワでは約7000人のカップルが離婚した。1927年、モスクワの離婚率は9.3、2015年の東京の離婚率は1.92で、約4.8倍に相当する。離婚率は人口1000人当たりの年間離婚届件数から算出する。
1927年前半、ソ連では、男女はそれぞれ平均4回の結婚・離婚を繰り返した。共産主義により「性の解放」「フリー・セックス」を教え込まれた国民は、結婚の意義を見いだせなくなった。
「多くの人々は結婚の登録を婚姻関係の基礎とみなしていない。事実上、自主的な同棲がどんどん普及している」とモスクワ地裁裁判長A. Stel’makhovich氏は1926年に書いている。
(つづく)ソ連の「フリー・ラブ」実験の失敗(2)
(英文大紀元ペートル・スバブ、翻訳編集・佐渡道世)