昔、ロシアに無神論の学者がいた。ある日、彼はある大会の会場で人々に、神は絶対に存在しないと論じた。会場にいた人々も、彼の主張は理に適っていると思った。学者は天に向かって、「神よ、あなたに本当に力があるなら、どうぞ、ここまで降りて来てください。聴衆の面前で私を殺すことができれば、私も神がいることを信じよう」と言った。学者はわざとその場で、静かに数分間待った。勿論、神がそこに降りてくることはなかった。すると、学者は周りを見回して、聴衆に向かって、「皆さんも分かったでしょう。神などまったく存在しないのだ」と決め付けた。
そのとき、スカーフを巻いた婦人が学者に言った。「あなたの理論は卓越しており、知識も豊かです。私はただの農村の婦人で、あなたに反論することなどできませんが、どうぞ、私の素朴な疑問に答えてください。私は何年もの間キリストを信仰し、神から与えられた恩恵を感じ、非常に幸せです。私は『聖書』を読むのが大好きで、読めば読むほど、私の心はキリストが与えてくださった慰めでいっぱいになります。なぜなら、キリストを信じる人は、人生にとって最大の幸福を得られるからです。仮に、私が死ぬ間際になって、神など存在しないことがわかり、キリストは神様の息子ではなく、聖書はまったくのでたらめだと分かったとしたら、生涯キリストを信じてきた私は一体何をなくすことになるのでしょうか?」
学者は暫らく考え込み、会場も静まり返った。聴衆は婦人の言うことはもっともだと思い、学者自身も婦人の単純な論理に驚いた。学者はしばらくして小さな声で婦人に、「あなたは何も失わないでしょう」と答えた。
婦人はまた学者に尋ねた。「素晴らしいお答え、ありがとうございます。もう1つ質問があります。仮に、あなたが亡くなる間際になって、神が本当に存在していることに気がつき、聖書に書かれていることが真実で、キリストが本当に神様の子であり、天国と地獄も存在していることが分かったとしたら、生涯神を信じなかったあなたは、何を損したことになるでしょうか?」学者はじっと考えたまま、返す言葉もなかった。
※看中国から転載
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