脳腫瘍に侵された11歳の少年 最後の願いを叶えてくれたのは
ニューヨーク州出身のジョン・フランシス・ホーグ・リベット君(11)は、2019年初頭に末期がんと診断された。彼の家族は、戦い続ける勇敢なわが子のためにジョンの大好きな法執行機関の人事部に連絡を取った。
2019年5月、ジョンは彼の脳幹にグレード3の神経膠腫が見つかったと正式に診断された。彼は歩くことや話すこと、食事を取ることが困難になり、しばらくすると、長い時は1時間近く続く発作のような症状が現れるようになった。
ジョンは同年3月にニューヨークのオールバニーメディカルセンターに入院していた。MRIおよびCATスキャンによる検査の結果、運動機能を司る小脳に炎症が見られることがわかった。ジョンの医師は、彼の抗体内の異常に効果があるとされる高用量のステロイドを処方した。
しかし、ステロイドは1カ月以内に効果を失い、ジョンの容態は急速に悪化していった。
4月の検査では、家族にとって最悪の悪夢が明らかにされた。ジョンの脳幹近くに腫瘤が見つかったのだ。最終的には希少な悪性のがんと診断された。
2019年5月7日、まだ小学5年生のジョンは8.5時間に及ぶ手術を受けたが、最も大きな腫瘤は脳幹近くにあり、切除するにはリスクが大きかった。いくつかの小さな腫瘤も切除できない位置にあった。
しかしジョンと彼の家族は、彼の大好きな法執行機関に慰めを見いだした。少年を勇気づけるために、ワシントン郡保安局が6月にジョンを「名誉隊長」に任命したのだ。
その後、ジョンは地元の法執行機関からたくさんの支援を受けた。消防士や軍の隊員たちが救いの手を差し伸べてくれたのである。
ジョンの医師はすぐに放射線と化学療法による治療計画を立てた。しかし7月29日、ジョンの叔母であるサラ・スレイから悲しい報告が投稿された。「ジョンの腫瘍は治療に反応しませんでした。もう手の施しようがありません」。ジョンは、いつでも家族の愛情に包まれて快適に過ごせるようにと、ニューヨーク州ホワイトホールの自宅に帰ることになった。
ジョンが退院する前、彼は意外な訪問者からの励ましを受けた。メイク・ア・ウィッシュ財団(The Make A Wish foundation)が、ジョンの大好きな元ニューイングランド・ペイトリオッツのロブ・グロンコウスキー選手の訪問を企画してくれたのだ。アメリカンフットボールのスター選手は、ジョンの病室を訪れ、サインや写真撮影に応じてくれた。
退院の日、彼はオールバニー警察署の隊員たちにエスコートされて救急車に乗り込んだ。
ジョンの母親キャリーの妹と叔母のサラ・スレイが計画したゴーファンドミー(GoFundMe)キャンペーンには、法執行機関に対する「記章と祈り」の呼びかけも含まれていた。それは愛するジョンの心を癒すための取り組みだった。
母親であるキャリー・リベットは、「ジョンの曽祖父は第二次世界大戦に従軍しました。パパは海軍所属の消防士で、彼の父と祖父も海兵隊員なんです」と語った。
「ジョンは警察官や消防士、軍隊の皆さんの存在の大きさを身近に感じながら育ちました。彼らを尊敬し、敬愛しているんです」
彼らはジョンに勇気を与え、彼に笑顔を取り戻させてくれた。「記章と祈り」の活動を始めて以来、ジョンは数え切れないほどたくさんの贈り物を受け取った。
この記事の執筆時点では、ジョンは今もホワイトホールの自宅で暮らしている。ゴーファンドミーに寄せられた寄付は、治療中のジョンの側にキャリーがいられるように、彼女の移動費や食事代に当てられているそうだ。
これまでに目標額30,000ドルに対して22,000ドルの寄付が寄せられている。
2019年10月21日、叔母のサラがジョンの近況を投稿した。「私たちはまさに奇跡を経験しました。何百何千もの贈り物がキャリーとジョンの家にあふれています。どのプレゼントにも祈りと希望に満ちた温かいお手紙が添えられています」
「キャリーはすべての手紙を読み、贈り物のコインや記章をジョンに手渡しました。私たち家族全員が、皆さまからのご厚意に励まされています」
ジョンは病気により2019年10月23日にその生涯を終えた。
(大紀元日本ウェブ編集部)