【掌編小説】蛇を捕える者の涙  柳宗元『捕蛇者説』をもとに改編

 永州、というと今日の湖南省にあたる。

 その永州の野に、他所にはいない珍しい蛇がいた。毒蛇である。からだは赤黒く、牙は鎌のかたち。頭に五つの星印があって、実に気味が悪い。その体から発する毒気はすさまじいもので、触れた草木はことごとく枯れてしまうという。もちろん人が噛まれたら助かる術はなく、発狂して死ぬのである。

 ところが、どういう皮肉か、この草木も枯らす蛇には、猛毒ゆえの激しすぎる薬効があった。捕えて皮を剥ぎ、切って干し肉にする。これを薬として用いると万病に効くというが、実際は体の病んだ部分を腐らせて「そぎ落とす」のである。例えば、壊疽で死んだ皮膚も落としてしまうし、腹中の虫は残らず殺してしまう。劇薬であるから、あくまで運が良ければ治るという意味で、分量を間違えば即死する。

 そこで、天子の侍医が、勅命によってこの蛇を集めることになった。もちろん侍医が自分で蛇とりをするわけにはいかないので、お上から、こんな御触れが出た。

 「この蛇を、年に二匹捕えて献上せし者は、租税を免除する」

 永州の村人は「租税が免除される」と聞いて、喜んで蛇を探しまわった。蛇は、草むらのなかに多くいたので、すぐに見つけることができた。年に二匹というから、できるだけ大きい蛇のほうがよかろうと思い、ある男が、先に捕えた小さい蛇を地面に棄てて、手にした野刀で首を切り落とした。その途端、切られた蛇の首が飛んできて、男の手首に噛みついた。男は悶絶して死んでしまった。

 ほかにも、蛇を捕えようとして、噛まれて死ぬものがたくさん出た。蛇を探すのは難しくなかったが、それを安全に捕え、生かして保存することは容易ではなかった。甕のなかに入れた蛇が死んでいることもあったが、甕のふたを外すと、中からすさまじい毒気が吹きあがり、家中の全員が卒倒して絶命した。

 役所へ大きな蛇を二匹もっていっても、なかなか租税は免除されなかった。「これは体の赤色が十分でない」「この蛇は頭の五星がぼやけている」などと、官吏が難癖をつけて認めないのだ。「無用の蛇は置いていけ」というので、その通りにしたが、官吏がその蛇を着服していることを村人は知らなかった。

 この蛇は、噛まれなくても体から毒気を出すので、やがて村人の誰もが精神に異常をきたすようになった。気がつけば、永州の民衆のうち半分ほどが減っている。人の手が入らない村の畑は、目立って荒れてしまった。収穫期になったが、麦や米はおろか、雑穀も実らない。飢えた村人は、草も生えない荒れ畑を生ける幽鬼となってさまよい、赤蛇を見つけると飛びついて生のまま食おうとした。蛇の背に歯を立てた途端に、中毒して死んだ。

 大飢餓となり、餓死者が続出した。まだ死んでいない村人は、来る日も、来る日も泣いていた。

 「租税が免除される」と聞いたあの時、なぜ地道に働くことを捨てて、赤蛇とりに狂奔してしまったか。確かに、騙された。騙されはしたが、心のどこかで求めてもいた。その心の隙を突かれ、そこへ赤蛇は飛び込んだのだ。やがて蛇毒が国全体を狂わせた。「苛政は虎よりも猛なり」というが、それにも増して恐るべき恐怖政治が実施された。ただ、そういう狂気のなかにあっては、自分も狂うか、狂ったふりをしなければ殺されていただろう。

 この赤い毒蛇は外来種で、もとから中原の地にいたものではない。湖南省から広まったことは間違いないが、その後、全土で繁殖して猛威をふるった。

 歴史にやり直しが効くならば、こう言うしかない。赤蛇に、いかなる利益も求めてはならない。人心を狂わす以外、良いことは一つもないのだ。

 徹底して駆除すべし。この世からも。人の心からも。

(鳥飼聡)

関連記事
ホラー映画が人々に愛される理由を、心理学と行動科学の視点から専門家が分析しました。怖がることで安堵感や好奇心が満たされ、さらにはカロリー消費も期待できる興味深い結果が明らかに。
「面白動画」事情聴取したくなる「訳ありそうな、怪しいヤツ」。 怒りを感じたら、物理的一歩下がって、心理的には高みから俯瞰して、すると全体像が見えてくる。その全体像には、顔をゆがめた自分も入っている。
オーランドのテーマパークを離れ、街の隠れた魅力を探る1日の過ごし方をご紹介。美しい自然や歴史、グルメを堪能し、観光とはひと味違う「シティ・ビューティフル」を体験しましょう。
偶然見つかった「Sなし」コインが、オークションで50万ドルを超えるかもしれない驚きの希少価値を持っていることが判明。眠っていた財産が一躍注目の的に!
手話でコミュニケーションするコーギーのエオウィンと飼い主の絆が、8,000万人の心を動かした感動の物語。言葉を超えた愛の形に注目です。