パブリック・ドメイン
孝は百行のもと

【物語】親孝行の子路(しろ)

むかし、孔子という偉い先生がいました。多くの人々に慕われ、多い時には3000人もの弟子がいました。

孔子の弟子の中に、子路(しろ)という弟子がいました。子路の家族は、とても貧乏で、肉と魚が食べられるのは、特別な日だけでした。その他の日は野草を食べ、お腹を満たしていました。貧しい両親を助けるため、子路は百里離れた市場へ行って米を買い、道端の野草を摘んで帰りました。子路は持ち帰った野草を煮て、親のために食事の用意をしました。

子路の親が亡くなると、楚王(当時の王様)は、子路の才能と人格を認め、官僚に任命しました。

子路は出世し、どこに行くにも馬に乗り、あらゆる珍味を食することができる身分になりました。しかし、子路はある日、ため息をつきながら言いました。「私は富を得て、何不自由ない暮らしを送ることができるようになりました。しかし、私は長い道のりを歩いて米をかつぎ、野草を探しながら歩き、両親に奉公した日々を懐かしく思うのです」

(翻訳編集・郭丹丹)

関連記事
6年にわたる苦行を続けた釈迦が、2人の女性の捧げた乳粥で体力を回復し、悟りへの道を進む物語。感動的な瞬間が描かれています。
出家した太子が、マガダ国の王頻婆娑羅王(びんばさらおう)と出会うエピソードです。王は太子に国土を譲りたいと申し出ますが、太子はそれを拒み、真の解脱を求める旅を続けます。
「中秋の名月」として日本で親しまれている月見の風習は、古くから月への感謝と憧れを感じさせる行事です。この記事では、竹取物語に代表される日本の神話を通じて、中秋の月にまつわる伝説と、月に住む仙女や玉兎に対する日本文化の象徴的なイメージを紹介しています。秋の風物詩を通じて、古代の物語に思いを馳せ、神秘的な月の世界に心を寄せてみませんか?
出家を決意した太子は、父王の反対を受けながらも、夜半に城を抜け出し、山林での修行を開始します。彼の決意と苦行の旅が始まり、道を求める姿が描かれます。
人生の無常さに気づいた若き太子が、老い、病、死を目の当たりにし、出家を決意するまでの心の葛藤を描いた感動の物語。