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夫婦の絆

嫁は顔よりも性格

古代の中国の子どもが習ったという「三字経」。その儒教の教えの中に、君臣の義(ぎ)、父子の親(しん)、夫婦の順(じゅん)という三網(さんこう)が出てきます。この三つの人間関係が調和していれば、幸せな人生を送ることができると説かれていますが、それは現代にもあてはまるでしょう。

今回は、古代の君子が賢い嫁と「夫婦の順」を築いた物語をご紹介します。

三国時代、魏(ぎ)という国に、許允(きょいん)という将軍がいました。徳の高い人物として知られていましたが、夫婦関係において、危うく評判を落としそうになったことがあります。

許允は青年の頃、親の勧めに従って、阮氏(げんし)という女性と婚姻の義を取り交わしました。婚礼の時、期待に胸を膨らませて、そっと新妻の顔を覆っていたベールを上げました。すると、地味で不細工な顔の阮氏が、じっと彼を見つめていました。落胆した彼は妻の寝室へ入ることを拒み、「婚姻を取り消す」と親戚に告げました。

来客として招かれていた桓範(かんはん・政治家)に説得され、仕方なく寝室へ入った許允は、やはり阮氏の顔を見ることができません。顔をそむけたまま寝室を出ていこうとすると、阮氏は許允の袖をそっと掴んで引き留めました。

許允は、阮氏に尋ねました。「女性には四つの徳が必要だといわれている。婦徳(女性らしさ)、婦言(言葉遣い)、婦功(手先の器用さ)、婦容(容色)。あなたには、一体どれが備わっているというのか?」

すると、阮氏は言いました。「私に欠けているのは、婦容だけです。君子には、百の行いが備わっていると聞いております。貴方はいくつ備わっていますか?」

「私はすべて備わっている」

「君子の百の行いのうち、徳が第一とされています。貴方は婦人の美貌を好み、徳を好んでいるわけではありません。それでどうやって君子の百の行いが備わっているといえますか?」

許允は言葉を失い、深く恥じ入り、部屋に残ることにしました。その後、賢く聡明な阮氏は妻として許允によく仕え、二人は仲睦まじく暮らしたということです。

この物語は、『世説新語』賢媛第十九に記されています。

『世説新語』は、南朝宋の劉義慶によって編纂された人物逸話集であり、魏晋の士人たちの風采や逸話を通じて、時代の気風を伝える貴重な文献です。外見や世評にとらわれず、人の本質を見極める姿勢は、今なお静かな余韻をもって読み手に問いかけてきます。

(翻訳編集・郭丹丹)

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