犠牲者を弔うために置かれたキャンドルと花束 (Photo by PHILIP FONG/AFP via Getty Images)
【中国共産党100年】

中共独裁政権下の犠牲者を弔う追悼式典 妨害はねのけ活動続行

中国共産党結党から100年経つ7月1日、在日のウイグルチベット、南モンゴルなどの少数民族団体や香港からの民主・人権団体が東京都内に集まり、中国共産党の迫害や失策により犠牲となった人々を弔う集会を開いた。数人の男が中共のスローガンを叫んで進行を妨害するハプニングに見舞われたものの、警察の迅速な対応により大事には至らなかった。夕方からは、人権団体がキャンドルを手に新宿の街中を行進した

中国共産党の圧政による犠牲者を弔う集会には各民族の代表のほか、仏教の僧侶も臨席した。

三浦小太郎・アジア自由民主連帯協議会事務局長は冒頭のあいさつの中で、中国共産党は政権奪取後、様々な民族に対する弾圧や、法輪功学習者に対する臓器摘出と臓器売買などの行為が今日でも行われていると指摘した。そしてチベット人やウイグル人、法輪功学習者に対する共産党の行為は一種の「ジェノサイド」であると述べた。

犠牲者を弔う集会は厳かな雰囲気のなか進行していた。仏僧が読経をしていると、会場内にいた男が突然机を「バン」と叩いて立ち上がり、中国共産党の宣伝スローガンを叫んだ。男は逃走しようとしたが、警察関係者に取り押さえられた。要請に応じて警察官が続々と会場に到着した。

会場に駆け込む警察官(王文亮/大紀元)

しかし妨害はなお続いた。会場内にいた複数名の男が続けて大声で叫ぶなどの騒動を起こし、警察官に連行された。

集会はその後も続き、各民族の代表がスピーチを行った。チベット人代表の小原カルデン氏は「中国人が嫌いというのではない。我々は同じ人間だ」「中国の若者には同情するが、考えが変わってくれることを期待したい」と述べた。

香港人代表のウイリアム・リー氏は、1997年の7月1日に香港が中国共産党の支配下に入って以降、しっかりと声を挙げなかったために中国共産党の横暴を食い止めることができなかったと述べた。そして現在、香港ではもはや抗議活動を行うことすらできなくなったと語った。

集会の後、世界ウイグル会議イリハム・マハムティ氏は大紀元の取材に対し、「自由があるからと言って、イベントを妨害するのは共産主義者のやり方であり、民主主義国では受け入れられない。暴力的なイデオロギーもこの自由な社会では生き残ることができない」と力強く答えた。

取材に応じる世界ウイグル会議イリハム・マハムティ氏(清雲/大紀元)

夕方からは雨の中、キャンドルナイトデモが行われた。デモ参加者は香港の民主化運動を象徴する黄色の傘を手に持ち、新宿の街中を練り歩いた。デモの集合地点では、中国共産党の旗を持ち、赤い服装を着た集団がデモ隊と言葉での応酬を続け、大勢の警察官が警備に当たった。

アジア自由民主連帯協議会の古川郁絵氏は取材に対し、親中共団体は4000円程度の報酬を支給されているとの情報があり、「デモ参加者が『4000円のために来たのか』と叫ぶと彼らの気勢には衰えが見えた」と述べた。そして「どうぞ来てください。日本は自由の国だから、自由を満喫して醜態を晒してください」と皮肉った。

親中共団体に抗議するデモ参加者(Photo by Takashi Aoyama/Getty Images)
雨のなか新宿を歩くデモ参加者たち(Photo by Takashi Aoyama/Getty Images)

(王文亮)

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