世界中のピラミッド(63)グアテマラ エル・ミラドール
エル・ミラドール
エル・ミラドールはグアテマラのペテン県北端の国境付近のジャングルの中に位置し、先古典期後期に繁栄し、ティカル遺跡よりも古代に存在した都市です。また、この一帯に紀元前1000年から紀元後300年の間に建てられた大小合わせて、少なくとも30の宗教都市遺址が存在することから、「マヤ文明の揺りかご」とも呼ばれています。
考古学者リチャード・ハンセン氏によると、マヤ文明創設の一連の流れを記録した壁画が発見され、この新発見が今日の認識を書き換え、マヤ文明に関する認識は更に1世紀前に遡ることになるといいます。
エル・ミラドールは1926年に発見され、1978年にようやく地図に記され、本格的な発掘作業が開始されました。強盗から守るため、ワールド・モニュメント財団とグアテマラ政府、そして、米政府が協力してここに国立公園を設置しました。
エル・ミラドールは先古典期の時代に建てられた都市で紀元前3世紀から紀元後1世紀に最盛期を迎えました。その後、徐々に衰退していき、9世紀頃に滅ぼされました。
「エル・ティグレ」と「ラ・ダンタ」
エル・ミラドールには「エル・ティグレ」と「ラ・ダンタ」と呼ばれる巨大な建築複合体があり、中でも「ラ・ダンタ」の中の高さ70メートルあるピラミッドはマヤ遺跡の中で最も高い建築物です。
(つづく)
――正見ネットより転載
(作者・意文/翻訳編集・天野秀)
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古代都市テオティワカンは、空中から見下ろすと、9つの惑星の並びと一致しており、位置の比例は驚くほど正確です。そのため、テオティワカンの設計者は惑星と太陽との距離や軌道上での運行状況を熟知していたことが分かります。
マヤ文明は紀元7世紀から8世紀に最盛期を迎えたが、9世紀には突如、姿を消した。古代都市コパンは800年頃に廃棄され、マヤ最大の都市と言われているティカルでさえも、869年に廃棄された。
マヤ文明の多くの謎が未だ解明されていません。例えば、マヤ文明は石器時代に属していますが、銅器もなければ鉄器も発見されておらず、獣の骨と木鋤の活用のみでした。しかし、高度な文明を持っていたのです。
ある学者は、マヤ人にはモンゴル人の血統と黄色人種の血統があるといいます。大昔、モンゴル人は寒冷な気候によって大移動し、シベリアからベーリング海峡を経て北アメリカへと向かい、その後、南アメリカに移りました。
ピラミッドはマヤの人々の偉大な傑作です。エジプトのピラミッドに負けず、マヤのピラミッドにも多くの謎と数値の偶然の一致が存在しています。古代都市テオティワカンは神秘に包まれ、太陽のピラミッドの位置も精密に計算されています。