心優しいウクライナの人々(Shutterstock)

私の思い出のキエフ「温もりと風格の街」(4)

(前稿から続く)

 

ある年、私はある用事があって、キエフの中心部へ行きました。

ちょうど広場では、共産主義に反対する人々の集会が行われていました。反共の旗を振るウクライナ人が、たくさん来ています。警察の機動隊がその現場を何重にもとりまいて、守っていました。

▶ 続きを読む
関連記事
母が独断で倉を開き民を救った──本来なら重罪のはずが、息子の官吏は逆に乾隆帝から破格の重用へ。親の勇気と子の清廉が導いた「奇跡の逆転劇」を描きます。
1599年に墓が開かれた際、聖セシリアの遺体は腐敗せず、埋葬された時の姿勢を保っていたと記録されています。この現象は「肉身不腐の奇跡」と呼ばれています。
深夜の祈り、祭壇での誓い、そして唯一の「受けるべき一撃」──騎士はどのように生まれ、何を守ろうとしたのか。中世ヨーロッパの壮麗な叙任儀式と騎士道の精神が鮮やかに浮かび上がる一篇です。
聖書から民話、現代の習慣まで──“40”はなぜ試練と変化の象徴なのか。生まれ変わりの節目を示すこの数字の不思議な力を、歴史と文化を横断して読み解く一篇です。
気づけば「無難さ」に合わせて服を選んでいませんか? 服装は自分をどう扱うかを映す鏡。デニム全盛の現代に、装いが持つ本当の意味と、少し背筋が伸びる視点を与えてくれる一篇です。