夢を追い求める小さな人物
ジョン・スタインベックはこの中編小説を通じていくつかの重要なことを伝えています。
1つ目は、強者と弱者の間の不公平、社会階級の不公平です。最も努力しているのは、悲惨な運命にある人間で、権力や財産のある富裕層の人間は、生活のために奔走する必要はないのです。
まさにジョージが「俺たちのような人間には何もないのさ。夢や希望を持った途端、全て失う」と言ったように、このように社会の最下層でもがく人々は、「死んだ方が楽なのではないか?」とよく自分に問いかけるのです。スタインベックはこの簡単な小説を通じて、一つの真理を伝えています。つまり社会は決して公平ではないのです。
2つ目は、力持ちで身体も大きいのに、知的障害があるレニーを通じて、人間は神様が創り出したのであり、賢い人も、鈍い人も、強い人も、弱い人も、みんな平等であるべきだということを伝えています。
レニーは世間知らずで、良くトラブルを起こしますが、内心は無邪気で、他人からのいじめや罵りなど、醜い面を見ても何も思わない純粋な人間です。しかし、現実の世界は彼らの夢を打ち壊し、ウサギを飼うという取るに足らない小さな夢を抱くことさえも許してくれません。
ジョージとレニーのような弱者に社会が与えた価値はネズミと同程度で、最下層で必死に働き、最も社会に貢献しているのに、人間として最低限の夢を抱くということも許されず、「人間とネズミの間」に生きなければならないのです。そんな彼らは人間なのでしょうか?ネズミなのでしょうか?
3つ目は、スタインベックは簡潔な文章で人と人の大切な友情を表しています。ジョージとレニーはたとえどんなに苦しい日々を送っても、互いを見捨てず、支え合いながら生きていました。
生きるも死ぬも一緒だというこの2人の友情は偉大なものです。最後、レニーが捕まえられて、拷問などされないよう、レニーが夢に浸っている時に、ジョージは自らの手でレニーの息の根を止めました。
この唯一持っている友情を、友を手放したくないが、しかし、友のためには仕方がないというジョージの苦しみに心を打たれ、読んでいるほうも苦しく感じます。
多くの者はレニーの善良さと純潔さを理解できないでしょう。子供には理解し難いものです。このような世間の善悪を区別できない人は、複雑な社会では生きていけないのです。ジョージとレニーはネズミのように社会的身分が非常に低かったですが、彼らにはまだお互いの存在がありました。しかし、最後には、それすらも許されず、ジョージは非常に手放したくなく、名残惜しいけれど、それでも、レニーをいじめから、苦しみから守るために、結局自らの手で引き金を引き、唯一の友を手放さざるを得なかったのです。
『二十日鼠と人間』は非常に平凡な物語です。しかし、読者への影響と感動は非常に強いもので、小説を読み終えた後も、なかなか気持ちが静まりません。スタインベックは社会の最下層にいる人たちの苦しみ、惨めな生活、小さな夢、そして、無力さをジョージとレニーを通じて、包み隠さず表現しています。
スタインベックが書いたこの『二十日鼠と人間』は、これから社会へ出ていく生徒たちだけでなく、すでに複雑な社会にはまり込んだ人たち、日々の生活のために奔走する人々、そして、裕福な上流階級の人たちにもお勧めの中編小説です。
(完)
(翻訳編集・天野秀)
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