フィレンツェ名門貴族 メディチ家の財宝(4)

異国の珍しい宝物

大航海時代の真っ只中、メディチ家は航海探検や海外進出に関与していませんでしたが、海外からの珍しい宝物を熱心に集めていました。

トスカーナ大公コジモ1世はアジアの自然の絶景に心を惹かれ、中国様式の植物や人物などの装飾絵柄が刻まれた、インド洋のオウムガイの殻を展示するため、特別にフランドルの金細工職人に金属のブラケット(棚などを支える横材)の作成を依頼しました。

海外の新たな地域が発見されていくとともに、様々な材質の品物がヨーロッパに流れ込むようになりました。1486年にナイジェリアが発見された後、ポルトガルの商人たちはアフリカのベニン王国から象牙製品を輸入するようになったので、コジモ大公は多くの象牙のスプーンなどの食器を購入しました。このアフリカ風の象牙彫刻スプーンは非常に希少で、全世界で48個しかなく、マリーア・マッダレーナによって宝箱に入れられ、慎重に保管されました。

新大陸の文物もメディチ家のコレクションに入っています。例えば、アンティル諸島のタイノインディアンの珍しい宝物やブラジルの貴重な羽毛のコートなどがあります。フランチェスコ・イ・ド・メディチ大公の私生児アントニオ・デ・メディチも、アメリカ大陸に興味を持っていて、宗教都市遺跡・テオティワカンから出土したといわれている玉製の面具を入手しました。
 

自然科学

植物学もメディチ家が長い間、力を注いできた項目の一つです。17世紀、フランチェスコ・イ・ド・メディチ大公とボローニャの学者ウリッセ・アルドロヴァンディは西印度群島(南北アメリカ大陸)の植物と動物に関する学術交流を行いました。特に、古代文書の記録と実際の自然環境の観察の比較に力を入れました。

フランチェスコ・イ・ド・メディチ大公は、オットー・ブルンフェルの動物植物図鑑のために様々な動植物種、特に外来物種の挿絵の作成を、マニエリスム画家であるヤコポ・リゴッツィに依頼しました。リゴッツィは鉛筆とテンペラで描いた後、卵白を絵の表面に塗ったので、描かれた植物のイラストはどれも生き生きしています。

ヤコポ・ツッキ(Zucchi)はローマにある神聖ローマ帝国のフェルディナント1世の別荘のために、人間が世界で支配的な役割を果たしていることを示している絵画「世界の創造」を描きました。

1657年、レオポルド・デ・メディチ枢機卿はフィレンツェに、ガリレオ・ガリレイの自然観察と研究方法を主旨とするアカデミア・デル・チメント(実験研究学会)を設立しました。彼は、1600年前にチーゴリによって作成された人体模型を収蔵し、この人体模型はテオドール・ド・マイエルヌの解剖実習授業に従って作られたものです。正確な筋肉構造をしている科学的な模型は、たとえ表面の皮膚がなくても、エトルリアの銅像「講演家」を参考に作成されたことがわかります。
(つづく)

(翻訳編集・季千里)

史多華