天文星象学
トスカーナ大公コジモ1世は天文星象学に夢中で、ヴェッキオ宮殿に数学研究室を設け、ドミニコ会の修道士イグナシオ・ダンティが制作した素晴らしい天文観測設備をそこに保管しました。
科学だけでなく、メディチ家は(貴族の科学と見なされていた)占星術と錬金術(化学)にも力を注ぎました。カラヴァッジョ派のフランチェスコ・ナポリターノは、メディチ家の科学使者としてフィレンツェのサン・マルコの研究所を訪問しました。
1660年にフィレンツェに定住する以前、ガリレオ・ガリレイは月の観測に関する毎日の詳細な記録である『星界の報告』を出版しました。この本には、ガリレオの手描きの月の絵があり、月の表面が平坦ではなく、丘と谷がいっぱいあることを明らかにしています。同年、新たに発見された木星の4つの衛星も発表し、メディチ家の支持に敬意を表すため「メディチ家の星々」と命名しました。
数々の業績を収め、天文学において偉大な発見をしても、ガリレオは裁判にかけられる運命を免れませんでした。ガリレオは「地動説」を唱えたことで、「異端者」とされてカトリック教会に有罪判決を言い渡されたのです。ユストゥス・サステルマンスが描いたガリレオの肖像画では、望遠鏡を持ち、光を失った目をして、嘲笑や弾圧に苦しんでいたこの天才の心境がはっきりと伺えます。
金細工
しかしながら、メディチ家の末代の大公たちは最終的に科学を放棄し、宗教側についたのです。健康状態が不安定なコジモ2世は願ほどきのため、精美な宝石でできた嵌絵(ジグソーパズル )を創作して、ミラノの聖カルロ・ボッロメーオに捧げたのです。
その後、コジモ3世の愛娘であり、メディチ家の最後の相続人であるアンナ・マリア・ルイーザはその生涯を慈善活動と文化支援に捧げました。彼女は家族が長い間収蔵していたコレクションを整理して、貴重な文化遺物の展覧会を開きました。
コレクションの中には、大きな真珠がはめこまれたオランダ製の黄金のゆりかごが展示されています。これはルイーザの夫―プファルツ選帝侯からの贈り物で、子どもができるようにと2人の期待が込められています。しかし、この夫婦の間には子どもはいませんでした。
1737年、ルイーザはもはやメディチの家督を引き継ぐ者がいないことを知った上で、遺贈状に署名し、メディチ家の全てのコレクションをフィレンツェに寄贈しました。何世紀にもわたって、メディチ家の運命に密接に関わっていたフィレンツェこそ、これらの宝物の最適な保管場所でしょう。(完)
(翻訳編集・季千里)
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