仏陀とその弟子たちの舎利(パブリックドメイン)

舎利とは何か?

舎利とは何でしょうか?仏教の文献によると、入滅した釈迦牟尼仏が荼毘(だび)に付された後、その骨灰の中から見つかったキラキラ輝く非常に硬い丸い物体が舎利だといいます。従来、舎利は仏教の珍宝とされ、入寂した高僧が荼毘に付された後にしか現れません。

釈迦牟尼仏の仏舎利(パブリックドメイン)

本来、舎利はめったに現れないため珍重されてきましたが、近年、頻繁に発見されています。例えば、1990年12月、シンガポールの宏船法師が入寂し、荼毘に付した後、骨灰の中から480個以上もの色とりどりの舎利が発見されました。検証により仏舎利に間違いないことが確認されました。

1993年5月7日の夜、中国東北地方の79歳のチベットラマが、突如、体調不良を感じ、実家の遼寧省に帰りたいと駅へ向かいました。しかし、ラマは駅で静かに入寂したのです。その後、ラマの遺体が荼毘に付され、骨灰の中から、赤、緑、黄、黒、白など大小さまざまな丸い物体が発見されました。鑑定によると、舎利であることが確定されました。

1975年2月13日、95歳の広欽法師は台湾で入寂しました。その骨灰からは千個以上の鮮やかな舎利が発見され、最大の舎利の直径は4cmで、赤褐色をしていて非常に輝かしいものです。

1989年9月27日、広西省93歳の寛能法師が入寂し、その骨灰からは3つのエメラルド色の透明な舎利が見つかりました。どれも直径3-4cmで、宝石のようです。

舎利の形成については諸説紛々です。仏教徒は基本的にベジタリアンであるため、長期的に多くの食物繊維とミネラルを摂取し、新陳代謝により大量のリン酸塩や炭酸塩が形成され、最終的に結晶体となり、体内に沈殿していったのではないかという学者もいます。

しかし、この説はすぐに覆されました。ベジタリアンは至る所にいますが、舎利が見つかったことはありませんでした。仏教徒も多くいますが、皆が皆、舎利を残せるわけではありません。

舎利は、胆石や腎臓結石などのような病気が原因だと考える学者もいます。しかし、病気で結石ができる患者は多くいますが、火葬された後、何も残らず、その骨灰からは何も見つかりませんでした。

舎利が見つかった高僧は生前非常に健康で、皆長寿でした。舎利に関しては、今もなお謎のままです。

――正見ネットより転載

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