死後も腐敗しない肉身菩薩【未解決ミステリー】
神々を信仰する人々はよく寺院で仏像を拝みます。仏像には、木や石の彫刻、金属の鋳造像のほかに、極めて少ないですが、真身と呼ばれる高僧が圓寂(えんじゃく)後に残した肉身があり、それを祀っている寺院もあります。
高僧の真身の最も不思議なところは、千年経ってもなお朽ちることがない点です。その死後の肉身は皮膚や骨、内臓、ひいては髪の毛や爪までもが生前と何ら変わりがありません。
今世紀でもロシアの「プラウダ」紙ではチベット仏教の指導者であるパンディト・ハンボ・ラマ12世の伝説について報じました。1927年に圓寂してから90年以上経った今も、その肉身は腐敗せず、まるで生きているように見えるのです。
ハンボ・ラマ12世は圓寂する前に、「30年後にまた見にくるように」と弟子たちに言い残しました。1955年と1973年に弟子たちが棺を開けてみると、ハンボ・ラマの肉体は腐敗しておらず、坐禅の姿勢のままだったというのです。
ハンボ・ラマ12世の肉身は地の中から掘り出され、見るからにまるで亡くなったばかりのようだったといいます。
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