高智晟著『神とともに戦う』(7)新年
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春節、それは農村地区で特別な意義があり、中国の農村で最大の祭りでもある。それはまた、農村の住民にとって最も大切な祭りでもあるのだ。
農村の住民が春節を大切にするのはなぜか。それは春節には、普段口にできないごちそうが食べられ、普段はもったいなくて着られない服を身にまとえるからだ。また、めったに会えない親戚とも、この時期になるとお互いに行き来をし、比較的恵まれた家庭の子どもは、お年玉や少なからぬ爆竹などがもらえるのである。
今までで最も私の心に深く刻まれた年越しといえば、父が逝った後初めて迎えた春節である。今日に至るまで、私の人生のいかなるときでも、あの頃の春節を待ちわびる気持ちが手に取るように分かる。ただ私も今になると、あの春節の時期、私と弟たちはなぜあれほどまでに爆竹にこだわったのか、とも思う。父の死後初めての春節では、ほかの同年齢の子どもたちと違い、ポケットには爆竹がなくて、私たちは隠れて泣いた。また、爆竹がないがために、同村の同年齢の子どもたちが遊ぶのを遠巻きから眺めていた。彼らと距離を置いたのには、もう1つ別の理由がある。それは、私が物心ついてから、父が存命のときも含め、我が家の子は春節で新しい服を下ろすことがなかったからである。我々の幼な心に残したつらい記憶とは、近所の子どもたちは誰一人例外なく、新しい服を身にまとったことだ。当時の心境はといえば、面白いものである。下ろしたての衣装に身を包んだ彼らを、遠くからそっとのぞき見ているとき、「もし、あの中の何人か、いや1人でもいいから、新品を着ていない子がいればいいのに」と思っていたのだ。しかし、こういった「夢」は現実になることはなかった。
父が亡くなって半年後、我が家は父のいない初めての春節を、否が応でも迎えることになった。それまでと違ったのは、私たちは初めて「春節など来なければいいのに」という心境になったことだ。当時、春節が近付くと、家族そろって誰もが重苦しい鬱々とした空気に押しつぶされそうになった。当時、わずか10歳あまりの私でも、この重苦しさを身をもって受け止めていた。
確か春節まであと4日に迫った時、我が家には何の正月用品もなく、それを買う金は一銭もなかった。ましてや、正月用品を揃えるために質入れできる代物などない。それは、父が逝ってまだ半年後のことだったので、母は依然として茫然自失の状態であった。しかも母には、それを取り繕おうとする心の余裕さえなかった。
(続く)
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