(新唐人《笑談風雲》提供)

秦の始皇帝――始皇帝の死【千古英雄伝】

 

秦の始皇帝は荘襄王の子で、姓は嬴、名は政で、荘襄王の跡を継いで秦王に即位しました。始皇帝は即位後、26年間にわたる東西遠征の末、6か国を征服し、天下を統一しました。

始皇帝の36 年(紀元前 211 年)、火星が心臓に侵入する「天象」が現れ、この天体現象は始皇帝にとって災難を象徴します。この時、東郡に隕石が落ち、着地すると石塊となり、誰かがその石に「始皇帝が崩御し、天下は分断される」という文を彫りました。

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 中国初の皇帝となった秦の始皇帝(紀元前259~210年)の墓「秦始皇帝陵」は、陝西省西安市から北東に30キロメートル離れた驪山(りざん)の北側にある。この墓は1974年に地元住民によって発見され、その後、墓を取り囲むように配置された8千数百体に及ぶ兵士や馬をかたどった兵馬俑(へいばよう)が発掘された。しかし、規模が大き過ぎる上に、発掘された文物を保護する技術が未熟なため、墓本体の地下宮殿は依然として埋もれたままである。未発掘のこの地下宮殿には七つの謎が伝わる。
中国戦国時代の始皇帝(しこうてい、紀元前259~210年)は、仙人術を好んでいた。不老不死の仙薬を求めて徐福を海外に派遣した伝説は、よく知られている。
周王朝以来、全て王朝の君主は「天子」と尊称されています。「天子」本来の意味は君主が天の子であり、天命により君主に人間の権威を付与することです。始皇帝以来、歴代の君主は皇帝と呼ばれ、天子も併用されています。秦始皇帝陵と明の成祖・永楽帝の紫禁城は雄大で美しくて、その上、迫力もあり、天子の尊威を表しています。また、文化上、美術上においても、千古不易の名作となっています。この二つの傑作は「天人合一」の意に従っています。