人権の灯 「星火燎原」とならん

【大紀元日本8月20日】1979年12月、ソ連の大軍が突如アフガニスタンに侵攻した。

アフガン国内のイスラム勢力が強大になり、アゼルバイジャンなどのイスラム地域に飛び火してソ連邦内でイスラム革命が起きることを懸念したソ連が、社会主義体制維持のために他国への武力行使という暴挙に出たのである。

いずれにせよ、このアフガン侵攻が泥沼化して終結までに10年もの歳月を要したことと、その間に費やした莫大な戦費負担が、ソ連崩壊への大きな要因となったことは周知の通りである。

独裁体制維持の結末がその崩壊であったことは、歴史の必然とはいえ、巨大なアイロニー(皮肉)を思わずにはいられない。

ソ連によるアフガン侵攻直後の翌80年1月、アメリカのカーター大統領は、同年7月開催予定のモスクワ五輪ボイコットを表明するとともに、西側諸国にむけて五輪ボイコットへの同調を求めた。

オリンピック直前のこの急転回は、当然ながら日本へも衝撃を与えた。

当時、大平正芳総理の日本政府は、同年2月に日本国としてのモスクワ五輪不参加を決定する。困惑した日本オリンピック委員会では、なんとか選手派遣の道を探る動きもあったが、結局はそれも断念せざるを得なかった。

柔道の山下泰裕選手をはじめ、モスクワ五輪を目指して壮絶なトレーニングを積んできた選手たちが、JOC役員に向かって、「私は自費ででもモスクワへ行きます」と涙ながらに訴えていた光景が今も思い出される。

この4年に1度のスポーツの祭典に向けて、血のにじむ練習を重ねてきた選手にしてみれば、政治や国際情勢という全く関係のない方向から妨害がはいり、突然その夢を断たれるとは、これほど悔しいことはないだろう。

しかし、日本のモスクワ五輪ボイコットが撤回されることはなく、一人たりとも日本選手を送ることはなかった。

選手にとっては誠に気の毒としか言いようがないが、アメリカからの要請があったとはいえ、たとえ五輪開催の直前でもボイコットできるという先例を、日本は確かにこのとき持ったのである。

2008年8月開催予定の北京五輪まで、すでに1年を切った。

優秀なスポーツ選手を国家的規模で養成し、特にオリンピックで大量の金メダルを獲得させることによって資本主義に対する社会主義の優位性をアピールすることは、かつてのソ連や東ドイツなどの東欧諸国でさかんに行われていた「政治」であった。

それも今では遠い過去の遺物であるはずなのだが、中国(と北朝鮮)ではまだ時代錯誤のままであるらしい。

しかも北京五輪の場合は、もはや共産主義というイデオロギーの宣伝でさえもなく、ただ中国共産党の「正当性」をなりふり構わず喧伝するという狂乱的なものでしかないのである。

この「狂乱五輪」には、当然ながら多大な犠牲がともなう。

周知のことだが、中国の自然破壊・環境汚染のひどさは想像を絶しており、こんな汚れた空気のなかでは競技できないと、今から各国の選手団は懸念をあらわにしている。

中国には、安心して口にできる水も食品もない。

北京市民のマナー向上のため、赤いタスキをかけた指導員が「きちんと列に並びましょう」と奇妙なキャンペーンをはっている光景には、もはや滑稽さを通り越して、もの悲しいものがある。

北京市内および近郊では、五輪開催にともなう整備工事のために、ほとんど暴力ともいうべき強制破壊がおこなわれている。

あろうことか、立ち退きに同意しない住民は、深夜に襲撃して縛り上げ、別の場所へ拉致してしまうのだという。翌朝、開放されて帰宅すると、すでに住み慣れた家は重機によって破壊されたあとである。突然家を奪われた住民への保障など無いに等しい。市政府当局と工事業者、およびヤクザが結託しての所業であるらしい。同様の強制破壊は、北京のみならず、全国的に広まっているという。

なんでも平均化してしまう見方は、物事の本質を見誤る危険性をもつ。

「中国は経済発展している」などはまさにその典型であり、本質から全くかけ離れた中国認識なのであるが、日本のマスコミの多くがまだこの認識を前提に報道している現状は、日本人として実に嘆かわしい。

経済発展どころか、庶民にしてみれば、すでに経済も社会も崩壊同然であることは明白ではないか。

中国の各地において、洪水がおこり、旱魃に見舞われ、河川は絶望的なほど汚染され、農地は回復不可能なまでに荒廃してしまった。中国の農民の実態は、中国共産党という「封建領主」に骨の髄まで搾取される「農奴」と呼ぶにふさわしい。

つい先日、アメリカのミネソタ州で橋の落下事故があったが、中国国内でも最近、大型橋梁の崩落や建築物の崩壊が相次いでいるのは何故だろうか。

本文において観念的な表現を使うつもりはないのだが、中国の現状がここまで悪化すると、中国共産党の所業があまりにも非道であるために「天が怒っている」と思わずにはいられなくなる。

因果応報というように、悪人には罰が与えられてしかるべきであろう。しかし、本来は罪もない庶民にまで、これほどの災禍が及ぶのではたまったものではない。

来年8月の北京五輪について、いま一度考えてみよう。

それはかつてクーベルタン男爵がオリンピック憲章に掲げたような、崇高な理念・理想にかなったものになると言えるだろうか。

答えは明白である。すでに多くの識者によって指摘されているように、もしも北京五輪が行われたならば、それは1936年ナチス・ヒトラーのベルリン五輪を凌駕するほどの、世界人類にとって最も「忌まわしき五輪」になるだろう。

ユダヤ人虐殺のホロコーストと同様の所業が、いまも中国の強制収容所において続けられているのである。

そのような国に、どうしてオリンピック開催資格があると言えるのか。

今から6年前、北京が開催地に選ばれたとき、世界の人々はある種の「淡い期待」をもったのかも知れない。これから7年の間に、中国は人権状況を改善し、五輪開催国にふさわしい進歩を遂げるだろう、と。

その期待は全くの幻想であった。むしろ、中国共産党の悪魔的本質を知る人にとっては、そのような結果は自明の理だったのである。

北京五輪に向けて、中国の人権状況は改善されるどころか、ますます悪化した。

その最たるものが、ほぼ同時期に進行していた法輪功学習者からの「臓器狩り」である。

言うまでもないことだが、法輪功の人々はみな平穏で善良な信仰者であり、彼らが迫害を受ける理由は一切ない。

歴史を仮定で語ることは慎むべきだが、もしも1999年7月からの法輪功迫害がなかったならば、法輪功は、不正・腐敗の横行する中国社会において最大の自浄作用を発揮し、中華民族の精神を健全に再生させたであろう。

その望ましい可能性に対して、中国共産党とその首魁・江沢民は、完全に逆行する道を選んでしまった。愚かなり、と言うほかはない。

そのような中、北京五輪を1年後にひかえた先日8月9日、ギリシャのアテネで「人権聖火」が点火された。当然ながら、これまでのオリンピック史上で、このような事象はなかった。

すなわち、人権迫害をはじめとして、北京五輪の問題性はすでに世界の良識ある人々にとって普遍的な認識なのである。

「人権聖火」はこれより世界各国を巡り、来年5月には日本へも来るという。

そのとき私たち日本人は、この「人権聖火」を迎えられるだけの十分な認識を有していなければならない。

そのために、私たち日本人も今から覚悟を決めることである。

中国共産党側は、卑劣なことだが、各国選手のオリンピックへの純粋な熱意という「人質」をとっている。

しかし、そのようにして強行される北京五輪が、オリンピック憲章の精神にかない、人類に幸福と感動をもたらす「平和の祭典」になるとは到底言えないだろう。

「人権聖火」の第一義的な目的は、五輪ボイコットではない。

ボイコットとは各国が主体的に判断して決めるものであって、あくまでも「人権聖火」の主旨は、中国共産党の人権迫害を停止させることにある。

しかし、それでも中国の人権状況が改善されないならば、わが日本も、北京五輪ボイコットという切り札を突きつける気概を持たなければならないということである。

もはや法輪功学習者だけに、必死の闘いをさせていてはいけない。

先に述べた日本人の「覚悟」とは、そのことを指す。

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