【ショートストーリー】胸襟を開いて父を許す

【大紀元日本8月21日】婉君は、十八年前に教えた学生だ。先日、幼い子を連れて私の家を訪ねて来た。二年前に結婚し、結婚生活はとても幸せなものだという。

婉君は、「私は結婚して子供ができてから、親の偉大さが分かりました」と言い、続けて、「私は、学生時代には非常に自らを卑下し、を大変に恨んでいました。それというのも、父は覇気がなく、正業に就かず、家庭の責任を負わず、家の経済的なものが全部母の肩に懸かっていたからです」と語った。

「このため、血気盛んで、若くて軽はずみだった私は、台北で働きながら勉強していた頃、家に帰りたいとも思わず、父に会いたいとも、話をしようとも思いませんでした。そんな中、母は、舅と姑の世話をし、その上、幼い3人の子の面倒を見なければなりませんでした。私の記憶では、母はまるで独楽のように身を粉にして一日中休む暇もなく働いていました。それでも、母が癇癪を起こすのを見たことがありませんでしたし、自らの苦しい境遇を恨むということもありませんでした。母は、逆境を素直に受け止め、黙々として天の不公平を受け入れていました」。

婉君の心の中には父親の居場所はなく、父に対する憂いと恨み、無関心と隔たりが増していくばかりだった。ただ、その剛毅な表面の裏にあるのは、彷徨う孤独な魂であった。

眼前の美しい容貌を見ているうちに、私の思考は婉君の中学時代に遡っていった。彼女は、剛毅で、果断、口数は少なく、顔にはいつもかすかに微笑をたたえていた。自尊心と名誉心からか、彼女は家のことについて口にすることはなかった。

しかし、ここにいる婉君はすでに違って、気心の知れた相手に長年の往事を切々と語るたびに、感極まるのか何度か嗚咽している。

婉君は目に涙を浮かべ、子供をあやすと、お茶を一口啜り、引き続きゆっくりと自身の暗い青春時代について語った。「母がどうして、毎日ぶらぶらしている夫に耐え忍ぶことができるのか不思議でした。どうして離婚しないのか?私が結婚する直前になって、母は私にこう言いました。『女性は必ず婦道を守らなくてはいけないし、舅と姑を敬い、夫を思いやり、子供を大事にしなくてはいけない。あなたのお父さんは、生涯大してお金を稼ぐこともなく、家族を養う責任も負うことはなかったけれど、酒びたりになることもなければ、私を足蹴にすることもなかった。あなたのお父さんは、時には冗談も言って、皆を笑わせてくれた。どうして、いつまでも根に持つ必要があるの?人生は苦しく短いものなのだから、このほんのひと時の出会いをどうして大事にしないの?皆んな楽しく過ごせばいいじゃない!』と。私はやっと、母がなぜ離婚しなかったのか分かりました」。

婉君はさらにこう続けた。「母は宿命論を信じていました。18歳で仲人の言うままに父に嫁いで以来、その惨めな結婚生活の中で、母は一時として甘い幸福なときがありませんでしたが、しかし決して恨みを抱かず、いつも穏やかで落ち着き、きちんきちんと家のさまざまな事をこなしてきました。母は、『これは自分の運命である。夫婦は貸し借りがあって結ばれているものだから、ひょっとしたら、前世では私があのぶらぶら遊んでいる夫で、今生でその借りを返しているのかもしれない』と言っていました」。

「母のこの話を聞いて、私の心のわだかまりがついに取れました。長い間胸につかえていたのは、父に対する恨みつらみが原因でした。母自身が、一生を託した夫に黙々と尽くすことができるのに、娘である私はどうして、胸襟を開いて父を受け入れることができないのだろうか?果たして私は、娘として父にどれほどのことをしてきたであろうか?それに気づいたとき、父との間にあった高い壁が一瞬にして消え去りました」。

こう語ってくれた婉君の瞳は輝きを取り戻し、もう嗚咽することもなかった。

(翻訳・甘樫、編集・瀬戸)