「二十四孝:閔子騫」 葦の衣を着て母に従う

【大紀元日本8月29日】閔損(びんそん、紀元前536年-紀元前487年)は、字を子騫(しけん)といい、春秋(周朝)魯国の人。孔子の弟子で、その徳行は顔淵と並ぶほどであり、「二十四孝」の一人。

閔子騫の母は早くに亡くなり、父は再婚した。継母は二人の子をもうけた。閔子騫は両親に非常に孝行であったが、継母は彼を嫌い、実の子二人には綿入れの服を作ってやっても、彼の冬着には葦の穂を使った。

冬の寒い日、父は閔子騫に馬車を御するよう言った。彼は全身凍え、手綱が思うように持てず、何度も落とした。父はそれを責めたが、彼は何も弁解しなかった。

しばらくして、父は彼の顔色が真っ青なのを見て、服を触ってみると、それはとても薄く、綿入れではなかった。

事情のわかった父はひどく悲しみ、妻に暇を出すことにした。すると、閔子騫は、涙ながらに父に、「母がいて寒い思いをするのは私一人ですが、母がいなくなれば子供三人が辛酸を嘗めることになります」と訴えた。

継母はそれを聞いて、いたく感動し、過ちを悔い改め、その後は、慈母のように、三人の子供に公平に接するようになった。

閔子騫の孝行ぶりはそれ以来、遍く天下に知られるところとなった。

(正見ネットより転載)

(翻訳・瀬戸)