経営トップの品格

【大紀元日本11月27日】最近、国家の品格と言う書物がベストセラーになり、男や女の品格まで論じられているが、それにあやかって経営者、今風の言葉で言うとCEO(経営最高責任者)の品格を論じるのも一興であろう。

企業経営に経営者の占める部分は極めて大きい。その経営者が職務にも私生活にも立派な人物であることが理想であるが、時として立派な経営者が経営するにもかかわらず企業が破綻する場合も少なくない。如何に優れた経営者とて人間であり、万能である訳もなく、企業経営と経営者の人格が必ずしも同じ物指では測れないところに経営の難しさがある。

「高名は志を惑わし重利は心を迷わす」とは魏晋南北朝の時代に生きた竹林の七賢の言葉であるが、現代の経営者達の動きを見ていると、以前とは様変わりになった感がある。少なくとも第二次世界大戦以前は内外を問わず経営者は資本家そのものであったことも多く、主宰する企業や商店の中では全能の存在であった反面、一旦、事業が破綻すると一命を犠牲にしてでも償うというのが至極当然とされる時代であった。たまたま無声映画から現在の音声付映画への過渡期でもあったのか、映画館や町村の催事でフイルム傷が目立つハリウッド映画が上映され、経営者である主人公が上品な夫人や可憐な愛嬢に最後の別れを告げドアを閉めると銃声が聞こえるという悲劇の場面が浪花節調弁士の錆びた声で語られたものである。勿論、現実には行方をくらましたり、金を持って高飛びしたりするケースも多かったのではあろうが、少なくとも建前では経営者たるものは一命を賭して事業に当るというのが当然の心意気とされた時代であった。

翻って時代も世の中も変化し、資本と経営の分離も進んだが、現代の経営者は洋の東西を問わず、不祥事に際し本来自分が責任をとるべき立場であるにもかかわらず、あろうことか責任を部下に押しつけたり、時には恰も己も被害者の如き振る舞いに及んだり、酷い場合は自己保身を最優先し米国の経営者に至っては就任時の契約書をたてに会社の業績悪化を尻目に巨額の報酬や退職金慰労金を受取って恥じぬ輩も少なくはない。大分以前の話であるが、クライスラー社の救世主となったかの有名なリー・アイアコッカ氏が鳴り物入りで年収わずか1米ドルの契約で会社再建に登場し「さすがリー・アイアコッカだ」と高く評価されたものの暫くするとストックオプションで巨額の利益を得たことが話題になったのもそう昔の事ではない。尤も彼の場合は株価が上昇するだけの功績があったことも事実ではあるが。日本のバブルの最中に登場し後にはバブル紳氏と呼ばれた人達の中にも本業の破綻を他所に叙勲の栄に浴す例や、財界の名士が叙勲を念頭にか、顕職をなかなか後身に譲らないとかの例もある。「功為れば退くのは自然の摂理」という老子の教えは知っている筈なのに老害を振りまくサラリーマン経営者も少なくはない.住民税の高さへの配慮にせよ、相談役とか顧問職に一年ならともかく、長年留まり晩節を汚す手合に至っては老害以外のなにものでもなかろう。最近の例では株式上場の機会が増えた結果、本来上場に疑義のある業種や企業のオーナーが巨額の創業者利潤を享受し或いはM&Aや株式分割などの手法をグレイゾーンで濫用するケースも跡を絶たない。当然のことながら、筆者はこれらの全てを悪と言っているのではない。事業や上場自体は結構な事だし経営者に相応の報酬や利益があるのもなんら問題はない。むしろ、それ自体に反感を持つのは貧者の僻みに過ぎないが、例え税制の違いが有るにせよ利益を社会に還元することで成功のお裾分けに熱心な欧米の事業家に較べ本邦の事業家や経営者の中には「金の毒が全身に回っている」としか言いようのない人物が多過ぎるのが欠陥と言いたいのみである。

幸いにも、世の中は日本を含め敗者復活戦を容認する時代となり、起業の方も比較的環境が整って来たのは御同慶の至りではあるが、企業経営の鍵となる事業者や経営者の品格のほうはいかがであろう。本来、経営者は孤独であり役員会や関係者の補佐こそあれ、場合によっては短時間に企業の運命を左右する決断も孤独に下さねば為らない。その根拠となる情報は彼の選んだ幹部や関係者のもたらしたものである事が殆どであろうが情報の正確さを求めても得てして悪い情報は届かないか、不備である事が通弊である。それでも、己が選んだ人達からの情報を経営者なりに取捨選択し、薄氷を踏む思いで最終的にはおそらく数分間で結論を出さねばならぬのが経営者である。 情報の真偽や正確さが死命を制するが、結論だけをとると責任は経営者に帰属する事に変わりはない。それだけの責任を負う以上、正当な報酬が有って然るべきであるが、やはり、世間の常識を遥かに越える金額となると別の問題が発生するのは道理である。まして不祥事における責任の取り方一つで経営者の評価も決まろう。

さりながら時代のせいもあるのか、最近の企業の不祥事などを見ると経営者が「世間を騒がせて申し訳ない」と頭を下げはするが、先に述べたハリウッド映画のような話はあまり聞いたことがない。筆者は何も命を差し出せと言っているのではなく、不祥事の内容にもよるが経営者たるもの自分の不明を恥じ、従容として収監されることすら躊躇しない気迫や姿勢こそ「ノブレス・オブリージェ」ではないかと言いたいだけである。欧米でもカナリー諸島やマルタ島で暮らす人達の中にはリタイアドピープル、つまりシニアシティズンに混じって、本拠地では間違いなく訴追の対象とされる人達が少なくはないのが実情である。この半世紀、世の中も事業も国際化しビジネスの世界もボーダーレスになりインサイダーやコンフリクトオブインタレストなどに対する世論も一段と厳しくはなったが、その一方で経営者自身の品性や品格の問題については却って退化したのではなかろうか。全ては結果論ではあるが「勝敗は兵家の常」と言う言葉もある。ベストを尽くしても事件が起れば率先して罪を避けず、成功しても時期を悟り恬淡として顕職を離れてこそ経済史に残る立派な経営者として世間や後進達から真に尊敬されるのではなかろうか。 何れにせよ「多財は患害となる。布衣にて身を終わるべし」と言う竹林の理想を地で行かざるを得ない陋巷の暇人の戯言である。

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