【大紀元日本9月19日】中国人留学生が作文で、「王さんは昨日着るセーターの顔色はちょっと悪いでした」と書いてきました。いろいろと直してあげたいところがあるのですが、ここでは「セーターの顔色」に注目。
日本語では、「顔色」は文字通り「顔の色」です。それが、「顔色をうかがう」のように、「顔の表情」を指すことがありますが、本来の「顔の色」義の延長線上にあるのは十分理解できます。「顔色(がんしょく)を失う」のように、「顔色」を「がんしょく」と読ませることがありますが、意味は同じです。
それに対して、現代中国語の『顔色』は、ただ単に「色」を意味し、顔とは関係ありません。「かおいろ」と言いたければ、「顔」を意味する『臉』を使って、『臉色』と言います。
この違いはどこから生まれたのでしょうか。
『顔』という字は本来、「額(ひたい)」を意味し、それが「かお」全体を指すようになりました。そのため、『顔色』は中国語でもつい最近まで「顔の色」を意味しました。また、それが「容色」や「顔の表情」を意味するようになるのも、日本語と同じくまったく自然な派生です。次は楊貴妃の美しさを詠った詩です。
・回眸一笑百媚生 六宮粉黛無顏色(白居易『長恨歌』)
眸(ひとみ)を廻らして一笑すれば、百媚(ひゃくび)生じ、六宮(りくきゅう)の粉黛(ふんたい)顔色(がんしょく)無し
(振り向いて微笑むと何とも言えぬ艶かしさが生まれ、後宮の美女たちも圧倒されて普段の顔色を失う[全くかなわない])
ただ、『顔』という字は本来、「色」という意味も持っていました。「顔料」の「顔」がそうです。
つまり、中国語の『顔色』は早くから「顔の色」義のほかに、「色+色」でただ単に「色」という意味でも使われていたということです。ただ、「かお」の意味が『臉』に取って代わられるにつれて、「顔の色」は『臉色』と表現されるようになり、現代では『顔色』は専ら「色」を指すようになったと考えられます。
ご利用上の不明点は ヘルプセンター にお問い合わせください。