何清漣:高官脱走、2009年中国共産党の致命傷
【大紀元日本2月26日】中国は安定な社会状況を維持することが現段階の急務であるが、二つ大きな課題が目前に迫ってきている。一つは失業の大軍が日にその規模を拡大しているにもかかわらず、いまだに現実的な解決策がないこと;もう一つは高官の海外への脱走が加速しており、一部の高官が移民手続きを待たずに、海外旅行の名目で失踪していたのだ。このような難題がすでに『瞭望ニュース週刊』など、公に報道されている。
失業人口の増加に関しては『2009年が集団事件の多発する年である』をはじめとする報道シリーズがある。このシリーズでは社会の不安定要素が増加しており、集団性の高い事件が多発し、その中でも失業問題が最も重要な問題となっている。一方、高官の海外への脱走に関しても、ただ「巨額な経済損失」だけを心配しているのでなく、さらに国家(中央政府)の統括力及び求心力などに影響することも心配しているようだ。たとえば、『国際家庭、高官脱走の温床、制度の抜け穴』と題した報道がある。厳重なる失業問題が安定的な社会状況を崩し、安定の基礎を壊した。高官の脱走が中央政府の統括する自信を根底から覆した。
長期の失業者がほぼ100%の確率で「流民」(ホームレス)になる。歴史的にみても、このような「流民」が王朝の末期に現れる。メンバーの構成が複雑だが、共通点がある。それは自宅、土地などすべてを失い、生き抜く手段もなく、社会底辺の人々であることだ。社会的地位こそないが、あらゆる王朝の終焉に彼らの足跡があり、そのように彼らは歴史に刻まれてきた。
「流民」出身で明の時代を切り開いた朱元璋が政権を握り始めると、戸籍制度などのあらゆる手段を駆使して、大衆の生活を安定化させ、国を固めようとした。しかし、その数百年後、またもや李自成、張献忠などの「流民」により、明王朝が転覆された。このようなことを数字にたとえると、平和の年代では「流民」が無数のゼロに過ぎない。しかし、その数がどんどん大きくなり、さらに李自成のようなリーダーが現れると、無数のゼロに「1」を加われることとなり、巨大なる力を有する集団になりうる。
中国共産党政府が長期にわたり、改ざんした「登録失業率」及び「大学卒業生就職率」で「流民」から逃げてきた。しかし、昨年の企業倒産の波が中国経済中心の長江三角洲及び珠江三角洲地区を直撃してから、「流民」が当局の悪夢となりつつある。中国の一部のエリートたちがその現実がやってくる前に危機を予測した。たとえば、朱大可もその一人である。彼は故郷を離れた農民、失業した職員、ワーキングプア、ネット難民及び異国流民の五つに流民を分類した。その文章で朱大可がはっきりと「国家政権が流民反撃の終点である」と指摘、「流民社会」は国家の「転覆者」と称した。
このような「流民」社会で発生しうる壊滅的な破壊に人々は直面しているが、だれもが無念と感じているはずだ。中国の政界及び経済界の精鋭たちは、誰もその現実から逃れることができないと心配しているようだ。しかし、その心配が問題の解決にはつながることがない。中国社会問題の「製造者」である高官たちが早くも他の国のグリーンカードを手に入れ、あらゆる方法で海外へ財産を移した。中国は彼らにとって単なる金稼ぎの場所に過ぎない。残念ながら、経済能力の乏しい知識人たちは最終的には「流民」と一緒に苦難に直面するしかないのだ。
『国際家庭、高官脱走の温床、制度の抜け穴』という文章は、事実上当局の政治的統括力の消散に対する無念さを反映したものである。大量に存在する国際的な家族も文中で表現しているように単なる安全のためでない。「一部の高官が配偶者や子供を利用して、巨額な国有資産を海外に移し、何かがあるとすぐにも海外に脱走する」のである。実は中国共産党の高官たちも中央政府の統括力については、信頼を置いていないと考えられる。
中国当局がこれらの高官の脱走を気にしているのは、海外に流出した国有資産の多さでない。なぜなら、中国当局の統制集団が自己利益最優先の政治集団であり、まだ残っている高官も脱走したものと同じことを繰り返しているだけのだ。問題は当局のメンバーたちが、脱走行動で当局への不信感をあらわにすることで、国家及び民族の求心力を失わせる可能性があることだ。このような求心力の低減は政治制度、現職高官、脱走した高官の所属する政治組織に対するものである。
したがって、2009年は中国経済が危機に直面しており、高官らの甘い汁が大幅に減少することで、高官脱走ブームを引き起こす可能性もある。