英国バイリンガル子育て奮闘記(5)

就学前(1989~1992年)カラスなぜなくの〜

 ちょうど絵本を眺めて言葉を発し始めた頃、「部屋の中のもの」と題する絵本のページで、テレビの中でマイクを持って歌う女の人を指さして、アンは「なじぇ、なじぇ」と言い始めた。何を言いたいのか、すぐに「ピン」ときた。歌と言えば童謡。童謡と言えば、私の口から一番多く出る日本の童謡は『カラスなぜなくの』だった。絵本の中の歌う人を指して「カラスなぜなくの〜」と一緒に歌っていたわけだ。

 思い起こせば、異国の病院での出産、初めての赤子の世話。出産後、子供は産湯につかわされず、身体を拭き取られるだけで、その代わりに産婦が夫の介護のもとで風呂に浸かる。午前中の出産だったため、遅めの昼食が運ばれてきた。夕食も運ばれてくるのを待っていたら、同室のお母さんが「自分で取りに行くのよ。その方が回復が早いの」と教えてくれた。当時のイギリスのトレイは、プラスチック製ではなく、とにかくどっしりと重く、病院の廊下をそろそろと歩いたのを覚えている。

 赤子は小さなワゴン車に入れられ母親のベッドの横に置かれる。看護婦がおしめの替え方を一度示してくれ、授乳の仕方を一度教えてくれただけで、後は「ご自由に」という病院側の方針だった。質問しても「あなたの好きなようにしていいんですよ」という答えが一律に戻ってくる。生まれた時から個人主義なんだ…と痛感。そして夜、上の子は既に16才で間違って4人目ができちゃったという同室のベテランお母さんが、いとも美しい声で童謡を高らかに歌い、赤子を寝かしつけている。「う〜ん。私の中には赤子を寝かしつけられるような英語の童謡の蓄積はない。いったい何を歌えばいいの?」泣き叫ぶ我が子を目の前に、口から出てきたのが「カ〜ラ〜ス、なぜなくの〜」だった。以後、家に戻っても、 赤子が 泣きやまない時は、「なぜなくの〜」と半べそをかきながら自分をなだめていた。

 他にも日本の童謡はなるべく多く歌うように心掛けた。 海辺町での子育てだったので、プロムナードに連れ出してた時は「う〜みはあ〜ら〜う〜み、む〜こ〜お〜は、ふらん〜す」と替え歌を作ったりもした。

 (続く)