【大紀元日本5月19日】1910年の5月19日、約76年で地球を周回するハレー彗星がもっとも接近した。火星研究で有名なフラマリオン(Flammarion,Nicolas Camille)が説いた、彗星の尾に含まれる成分によって人類が窒息死するという人類死滅説が報道され、日本中はちょっとした騒動の波に覆われた。
空気を保存しようとタイヤのチューブが高額な値段で売れたり、貧しくてタイヤを買えない人達は、桶に水を張って息を止める練習をしたりしたという。当時発行された新聞を見れば、女子高校生たちもこのハレー彗星大接近の話題で持ちきりだったことが伺える。
「浅草七軒町の府立第一高等女学校の一、二年の生徒はもう十日も前から、よるとさわると『十九日は私どうしたらいいんでしょう。死ぬなら皆さんと一緒に死にませうね』『わたし母さんや父さんと死んでよ』『だから勉強したってつまらないわ』 いずれも小さな胸を痛めて、先生が何といわれても、その話ばかり夢中になっている。恐らく、今日の昼頃は、胸をドキドキさせてる事だろう。」-読売新聞 明治43年5月19日
2000年問題の時のように、何か天変地異があるかもしれないという杞憂があるものの、過ぎてしまえば何もなかった安堵感と期待はずれの結果に人々はガックリしたかもしれない。このころ最新の望遠鏡は口径が20センチ程のレンズを使っていたので、全国で確実にハレー彗星を見たとの報告はほどんどなかった。ドキドキしながら空を見上げていた人々の思いは、きっと不完全燃焼に終わっていただろう。
次回の接近は2061年7月28年になる。未来の技術とともに、人々は彗星の姿に何をみつけるだろうか。
(飯村)
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