【ショート・エッセイ】 なめとこ山の熊たち

【大紀元日本11月7日】「。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ」

宮沢賢治童話「なめとこ山の熊」のなかで、猟師の小十郎が射殺した熊に向かって言葉をかける場面である。

山の中では熊射ち名人の小十郎も、町へ出れば熊の胆や毛皮を商家の主人に安値で買いたたかれる惨めな身分でしかない。その境遇から抜け出せない自身の姿が分かっているからこそ、熊の言葉が理解できる小十郎は、熊に「この次には熊なんぞに生れなよ」と心からの祈りを奉げる。

やがてその小十郎が熊に襲われて死ぬ時が来る。意識の薄れていく小十郎に、「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」と熊も言う。

三日後、山頂に置かれた小十郎の亡骸のまわりに、黒い大きな影がたくさん集まってきた。なめとこ山の熊たちだ。

雪の降るなか、熊たちはじっと動かずに、いつまでも小十郎の亡骸に向かってひれ伏していた。たくさんの熊を射ってきた小十郎は、また熊たちから好かれる存在でもあったのだ。

連日のように熊出没のニュースが伝えられている。その結末の多くは、有害獣として駆除するというものであるらしい。やむを得ないことかも知れぬ。しかし、小十郎のように熊の言葉を解する人間が一人くらいはいないのかと、無理を承知で思う。

(埼玉S)