【大紀元日本2月14日】11歳になる春休みを利用して、再び日本を訪れた。お盆やお彼岸とは時期を逸してしまうのだが、逆に静かな時期にお寺さんを訪れたりしてきた。4歳のころは、特別に本堂に入れてもらい、いとこと二人で広い畳の部屋を走り回ったりしていた。
今回も、皆で墓参りしてから家族旅行に行こうということになった。水を汲んで墓石を洗って、花を活けて…。うーん、日本らしい。因みに、英国人は欧州のなかでも実用性に長けているようだ。土地も狭いし、皆、一生の人生で転々と移動するのが普通なので、散骨ならぬ散灰がかなり一般的になっている。以前、中年の夫婦に両親のお墓はどこにあるかと尋ねたところ、祖父母の墓はどこそこの教会にあるらしいけれど、両親のはないという答えだった。
典型的な観光客さながら、お墓参りも含めて、旅行中あちこちで写真をとった。
家族旅行の後、コーンウォール州からの知り合いで日本に滞在していたイギリス人女性に会ってもらった。日本人の夫と別れて女手1人で英国で二人息子を育てている人だった。コーンウォールでの幼稚園経営を人に任せ、1年間日本のインターナショナルスクールで英語の先生をしているところだった。ちょうど大学に入る手前の長男のダン(仮名)も英国から遊びに来ていたので、会話のついでに私たちの日本旅行の写真を見せた。
写真屋さんが無料でくれるポケットアルバムをパラパラとめくって、「ヘー、こんなところに行ったの」というのが通常のコメントだが、彼はちょっと違った。英国育ちのハーフのダンは、私にとってはあたりまえの墓参りの写真に、じーっと見入ってページをめくらなかった。見つめ方が尋常ではなかった。そうか、小さい時に父親との接触がなくなり、父親が日本人でも彼にはこのような「ご先祖様」へのアクセスがないんだと気がついた。母親の方も、息子が父親に会い、日本のルーツを発見してもらうことも念頭に置いて、この1年間のインターナショナルスクールの仕事を引き受けたようだった。
後日、彼は学生時代に日本人女性と婚約したと聞いた。今は結婚したらしい。自分の中の隙間を埋めたかったのかもしれないな、と勝手に憶測している。
(続く)
著者プロフィール:
1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。
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