英国バイリンガル子育て奮闘記(88)日本語の試験(下)(2004年)

【大紀元日本5月23日】母親が子供の模擬試験を採点しなければならないような状況下で、中学卒業資格試験にあたるGCSEの日本を受験した。結果はA+だった。この時点で、GCSEは点数では発表されなくなっていた。

英国では、5年制の中学の後、高等教育が2年間ある。この2年間は、Aレベル(アドバンス・レベルの略)で良い成績をとり、大学側から採用してもらうために存在する。ケンブリッジとオックスフォード以外は、学校単位の「受験」はない。全国試験の結果、AがいくつでBがいくつ必要という要求を大学側が出し、その要求を満たすことで入学が認められる。

しかし、AレベルもGCSE同様、点数では結果がはじきだされない。大学側もA+が続出した場合、選別が難しくなる。娘が通っていた田舎の小さな私立の校長先生は、このAレベルのあり方は、能力のある生徒を識別しない、という立場から、インターナショナル・バカロレアの試験を代わりに受験する体制を整えた。

ロンドンに行く機会があった時、国際交流基金ロンドン日本文化センターを訪れ、過去のAレベルの日本語試験とバカロレアの日本語試験を閲覧し、比較させてもらった。

Aレベルの日本語は、日本語だけできてもA+は取れない。日本語を読んでその内容を英語でまとめる作業も問われていたからだ。実際、高校1年で日本を離れ、英国の高校に入ったという知り合いが、日本語試験はBだったと言っていた。

バカロレアの日本語は、自分の母国語として文学的なことを学ぶか、外国語として受験するかの選択肢があった。母国語とした場合の試験問題に目を通したが、まさに目から鱗が落ちるような思いだった。指定の文学書には源氏物語やボッコちゃんが入っていた。これは日本で文学を専門とする人でなければ指導できない。私のレベルでは無理だと感じた。今の世の中、父親の転勤につきながら教育を受け、根無し草になってしまう人も多い。そんな若者を対象に、自分のルーツが国外でも保てるように考案された試験内容だった。国外でこれだけのレベルの日本語試験を設定できるバカロレアの奥深さに敬服した。

外国語としての日本語を受験する場合も、バカロレア試験は、純粋にその言語の能力のみを問うもので、翻訳作業のような第二の言語を割り込ませていない。環境が許せば是非、バカロレア試験を通して、娘の日本語力を高めてほしいところだったが、外国語として受験する場合は、日本語教師が雇われなければ成立しない話だった。娘は日本では教育を受けていないので、母国語としての日本語を受験するほどの力量はない。

というわけで、バカロレアの日本語試験はあきらめ、代わりにフランス語を選択するよう勧めた。そしてこのフランス語の先生を通して、Aレベルの一年前に受験するASレベルというのを受験させてもらうことにした。GSCEの延長のようで、それほど時間を費やさなくてもパスできたようだった。

(続く)

著者プロフィール:

1983年より在英。1986年に英国コーンウォール州に移り住む。1989年に一子をもうけ、日本人社会がほとんど存在しない地域で日英バイリンガルとして育てることを試みる。