6歳のエイズ孤児 一人で逞しく=広西チワン族自治区

幼少の時どのように過ごしたか。多くの人は、お父さんにおねだりしておもちゃを買ってもらったり、お母さんに背中を押されながら嫌々塾に通ったり、わがままが通らなかったとき、「こどもはつらい」と嘆いたりしたかもしれない。ところが、中国広西チワン族自治区柳州地区に住むエイズ孤児の龍君はこのようなこともできない。彼は自分で服を洗い、食事を作り、ニワトリを飼い、唯一の友達は飼っている犬。そして、学校にも行けず、夜は暗闇の中で一人で眠りにつく。そんな境遇にいる龍君はまだ6歳、そして、自分は大変苦労しているとは思っていないという。

 柳州市牛車坪村は馬鹿山沿いの村で、村道の一番奥に、一軒のボロボロの平屋がある。部屋は三つで、窓もない。ここが龍君の家、一人住まいだ。そのうちの一部屋には、レンガで組み立てた炊事場とトイレ代わりの桶があり、「設備」が比較的揃っているため、そこが龍君の「主寝室」となっている。

 

龍君の家

そのほかの2部屋は、ドアもボロボロで今にも崩れそうで、もちろん鍵もない。劉君はよく、「黒」という飼い犬に抱きつきながら、村道を眺めてぼうっとしているという。お父さんが亡くなってから、龍君は一度も山を下りていない。

 

龍君の友だち「黒」

村役場がそんな龍君に唯一できる支援は、彼の衣食の一部を確保すること。そのほか、月70元(約840円)の低所得者への補助金と周りからの寄付もあるが、それでは足りない。エイズ予防薬の一部は無料だが、対象外の薬を買うお金はない。

 

ボール蹴りが龍君の楽しみ

お母さんが先に天国に行き、その後、お父さんも亡くなった。それ以来、両親はエイズで死亡したことが村中に知れ渡った。龍君自身も検査で、エイズウィルスに感染していることが判明、小学校への入学も断たれた。

 

学校には行けないが、本を読むのが大好きな龍君

龍君のお父さんは村の住民でお母さんは他県の人だった。6年前、両親は山で家を建て、亡くなるまでそこに住んでいた。84歳の父方のお婆さんは毎日ではないが、時々彼を見にくる。お婆さんは家の側の空き地に野菜畑を作り、チンゲン菜とニラを育てている。龍君の食事はこれで賄えている。お婆さんが来るのは大体午後で、ご飯を作ってから帰る。体を洗ったり洗濯するのは全部、龍君が自分でやっている。彼はまだエイズの意味も分かっていない。ただ、一緒に遊んでいた子供たちが近づいてこなくなったという。

 

龍君の野菜畑

手をやけどしてしまったが、医者は恐れて傷口の処理をしてくれなかった。唯一の頼みの綱であるお婆さんも、彼と一緒に住みたがらない。いつも側にいてくれるのは老犬の黒だけ。このような生活が何年も続いた。

 

医者は手のけがを手当してくれない。

夕方になると、龍君は食事の支度を始めた。左手にできた大きなやけどは数日前に、炊事のときにできたという。取材したこの日も、彼は「厨房」で料理を作り始めた。まずは小鍋に米と水を入れて、慣れた手つきで「コンロ」に乗せた。その火起こしの速さにも驚いた。数本の柴を鍋底に押し込み、新聞紙に火をつけて素早く柴の間に入れる。ものの数秒間で火がついた。

 

夕飯の支度をする龍君

夕飯が出来上がった。白いご飯に茹でチンゲン菜、油も塩も、ほかの調味料もない。龍君はおいしいそうに食べ始めた。「一人では食べきれないので、残ったのは黒が食べる」と彼は話した。

 

 

(翻訳・叶子)

 

 

 

 

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