【大紀元日本5月15日】とよあしはらのみずほのくに。日本国の美称とされているこの呼び名は、豊かに実った稲穂がどこまでも続く原風景を、そのまま素直に表現したものなのだろう。

それでいい。その名の通り、日本の美田でとれる米は文句なしにうまいのだ。

食物に対する味覚は主観的判断によるものであるから、どの国のどの民族も、自分たちが口にしているものが世界一うまいと思っている。また、そう思うことが民族的自尊心であり、自国を支えうる精神的基盤ともなる。

と言いながら、やはり日本の米についていささか自慢したいのは、日本人の身びいきというより、客観的な事象として、日本の米が海外でも歓迎されているからなのだ。ただし、ここで述べたいのは、日本の米の食味や安全性ではないし、あえて言えば食糧としての米でもない。日本の米のこころ、である。

米は、第一義的には人間が生命を維持する主食である。しかし、その目的のためだけならば、事情に応じて小麦やジャガイモなど他の主食に代替してもよさそうなものだ。しかし、短期間ならともかく、おそらく日本人にはそれはできないだろう。他の主食への代替ばかりではない。断言しても許されると思うが、同じ米でも、日本人は国産米でなければだめなのである。

誤解を避けるために付記しておく。実際にはウルグアイ・ラウンド(86年~95年)以来、すでに大量の外国産米が輸入されている。年間77万トンというから、国産米の8500万トンに比べれば1割にも満たないが、少ない量ではない。

それでも私たちは、多分に観念的な理由によるのだが、「米は国産に限る」と思っている。昔とは食糧事情のちがう現代においても、国産米は、その存在自体が日本人にとって大きな安心材料であることは否めない。

平成5年といえば、いわゆる「平成の米騒動」があった年である。冷夏のため、その年の米が全国的に不作だった。ただそれだけのことであり、なにも餓死するわけではないのだが日本人はあわてふためいた。あの時の愚かなふるまいを、忘れないほうがよい。米の盗難が頻発し、一部の悪徳なものが米価を吊り上げ、また外国産米を国産米と偽って売った。消費者も自己中心的になり、買占め、買いあさりに狂奔した。

人間とは、残念ながらそういう面があるのかも知れない。しかし、たとえ一時的にしろ、日本人の道徳が低下したことを自省の歴史として記憶に留めておいて損はないはずだ。あの時、緊急輸入したタイ米がだぶついたため、不法投棄したものがいた。なんと米を捨てたのである。瑞穂の国の恥と知るべきであろう。

さて、歴史をさかのぼった江戸時代、米は経済そのものであった。どれほどの米を産出できるかで、その国(藩)の国力の軽重が量られた。武士の俸禄も米の石高で支給されたため、米はある意味で社会的地位の指標であり、人格の代替物にもなった。その是非はさておき、日本人に「米本位制」とも言える価値観が浸透したのは、そのような歴史があるからであろう。

もしも、といっては歴史にならないが、もしも武士の俸給が金銭で支払われたらどうだったろう。軽便さ、機能性という意味では、金銭も悪くはない。ただ一つ、最大のリスクがある。幕府が財政難に陥ったとき、急場をしのぐため、やたらに銭を鋳造してしまう危険があるのだ。金銭は、扱うものの道徳性が失われたとき、はなはだ恐ろしい。

これに対して米は、ごまかしが効かない。作柄の良し悪しは、天日の下に明白であるので、銭の鋳造のように隠れての小細工ができないのだ。

米は、それを扱う人間にも、絶対的な誠実さを要求する。仮に不徳の商人がいて、低級米を混ぜて高く売ったとしても、味の不足が顧客にそれと気づかせるだろう。信用をなくした商人は、次回から買ってもらえないという懲罰を受けるのだ。

今日ではスーパーなどでの顔の見えない購入が一般化してしまったが、近年までは町のお米屋さんがいて、米の信用・信頼という牙城をなんとか守っていた。

そうすると、日本の米のこころとは、日本人にとってかけがえのない、温かみのある道徳性と考えてもよいようだ。

田に初夏の水が引かれると、いよいよ今年の田植えである。風にゆれる青苗の海。秋には、たわわに実った稲穂が輝く。

そんな里の風景が、日本人は無条件に好きなのである。

美しい千枚田として知られる輪島の棚田が、今年の田植えを待つ(大紀元)

(牧)