【大紀元日本5月29日】中国のことわざに度量のある人物のたとえとして、「宰相肚里能撑船(宰相の腹の中は船に竿をさせるほど大きい。つまり度量が大きい)」という言葉がある。求められるリーダーとは、的確な指導力と行動力、広大な忍耐力と寛容な心を兼ね備えた人物であろう。それは、古代から現代に至るまで変わらないものだ。
中国の宋の時代、3人の皇帝に仕えた富弼(ふひつ)という宰相がいた。彼は若い頃から度量が広く、寛容であったと記録にある。『宋史』によると、彼は「質素で礼儀正しく、他人に話す時は、たとえ相手が自分より若く社会的地位が低くても、同様に相手を尊重して話した。彼の容貌には落ち着きがあり、恭しく、滅多に怒らなかった。彼の天性は善良で、邪悪を嫌った」
富弼は他人から罵られても、その罵声は彼の耳に届かなかった。まるで、彼には悪口が聞こえないかのようだった。ある日、隣にいた彼の知人が言った。「あの男は、君を罵っているぞ」。富弼は言った。「たぶん、他の人を罵っているのだろう」。知人は再び、富弼に言った。「あの男は、君の名前を叫んでいるじゃないか」
「同姓同名の人はたくさんいるよ」富弼は静かに答えた。大きな声で罵っていた男は、富弼の言葉を聞くと静かになった。
富弼は息子たちにも常に言い聞かせた。「寛容は、多くの問題を解決する。もし正直で高潔で、簡素で飾らず、親切であれば、その人物は何でもやり遂げることができる」
明の時代の袁了凡は、他人の謗りに対する対処法を書き残している。「もし怒りが爆発する者は、自分に言い聞かせるとよい。全ての人には、欠点がある。時に、人が礼儀に欠けていたとしても、なぜそれに自分が動かされるのか?憤慨する理由など何もない。もし他人の態度が適切でなかったとしても、それは自分の徳が足りないからであり、自分を正して彼に手本を見せればよい」
もし他人が自分を罵り陰口をたたいても、怒る必要はない。広い空に向かって燃えさかる火も、いつかは消えてしまうものだ。もし、誹謗中傷を受けた時に自分を守ろうとすれば、それはあたかも蚕が絹を吐き出し繭を作り出すように、結局自分をもつれさせ、殻に閉じ込めてしまう。怒りは何も解決することができず、ただ自分自身に害を及ぼすだけなのだ。
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