ー固定観念ー

【大紀元日本7月16日】先日、こんな出来事があった。私は成都市に住んでいるが、新疆に出張する用事ができたので、コルラ(新疆の都市)までの直行便をネットで予約した。出張の当日、予定の飛行機に乗り込んで一休みしていると、3時間後に飛行機は着陸した。飛行機を降りると、空港のスタッフが「コルラ行きのお客様はこちらです」というサインを掲げている。不思議に思ったが、そのまま他の乗客の流れにまぎれ、そのサインは無視した。

しばらくすると、目の前の男性の乗客が女性の乗客に話しかけるのが聞こえた。「コルラ行きは、あっちだよ。早く戻って。ここはウルムチだから」。女性はうなずくと、すばやく向きを変え、逆方向へ歩き始めた。その時、私は違和感を覚え始めた。コルラの空港には何度も降りているのに、いつもの風景と違う。しかし、私はまだ間違いに気付かなかった。私が気づいたのは、空港から一歩外に出たときだった。「しまった、ここはウルムチだ!私の飛行機は、コルラへ到着する前に、ウルムチに立ち寄ったんだ」。私は急いで空港に引き返し、スタッフに説明して再搭乗の手続きを済ませた。

コルラ行きの飛行機にはなんとか間に合ったが、怒りは収まらなかった。これは、私のミスだろうか? 私は直行便を予約したはずだ。ネットで予約した時、コルラの前にウルムチを経由するという情報はなかった。チケットにも、そのような記載はない。私は隣に座った乗客に不満をまくし立て、やっと心が落ち着いた。

今回の一件を振り返ってみて、ある事に気が付いた。それは、人がいかに固定観念に左右されやすいか、ということだ。ルートを突然変更した航空会社は不親切だったかもしれないが、私も2回ほど間違いを正す機会があったはずだ。心は気づいているのに、目的地に着いたと思い込んだ私は観念に支配され、身体がそのまま空港を出てしまった。まるで一時、心と身体が離れてしまったかのようだった。ふと、大法を思い出した。「ある種の観念が形成されると、人の一生を支配し、その人の考えないしその人の喜怒哀楽を左右する。これは、後天的に形成されたのだ。時間がたつにつれ、この観念は人の思想に溶け込み、本当の自分の脳に溶け込み、人間の性格を形成してしまう」『転法輪(二)』

人間は皆、生まれた時には観念がなく、純粋で清らかだ。その後、成長するにつれて様々な観念を形成し、それが自分自身となり、人生はそれに振り回される。観念を捨て、真の純粋な自分を見つけることを「返本帰真」という。それができれば、心は悠々自在となり、真に自分自身の人生を送れるという教えを思い出した。

 (翻訳編集・郭丹丹)