【伝統を受け継ぐ】WEB「書」のサロン
【大紀元日本3月29日】
はじまりは、とても小さかった。
奈良で一人の女性が、Twitter でポツンとつぶやくように、
毎日、書いた書をアップしだした。
一週間、たった。
遠く離れた静岡の男性が、呼応するかのように、同じ字を書いて
アップしませんかと、話をもちかけた。
試しにやってみた。
楽しい!
次の日も、そして次の日も。
その内、ゆっくりだが、仲間が増えだした。
ひとり、そして、またひとり。
新聞のように欠かさず、休刊日もなく!
お題は持ち回りで、毎日誰かが出す。書ける人は書く。
書の専門家ではないけれど、書の好きな人たちが集う、
WEB書のサロン。
一つのお題を、思い思いに、自由に書く。
(WEB書のサロンHPより)
ツイッターでつぶやくように書をアップした女性とはどんな人だろう、どんな気持ちでつぶやいたのだろうと興味を持ち、瀧澤禎子さん(号・禎苑)を斑鳩のご自宅に訪ねて話を聞いた。趣味はフラメンコと言う魅力的な女性だ。
「物心ついたときには、すでに先生について筆を持っていました」「お手本通りに書くのが楽しかったことを覚えています」。そのとき文字の基本やバランスを身に付けたと瀧澤さんは言う。スポーツが好きで、中学でも高校でもバレーボールに夢中になっていたが、書から離れることはなかった。「結婚した後も書とのかかわりは、入りすぎず、離れずというスタンスでしたね」
一昨年の初夏のこと、子供も成人したある日、「ちょっと書から離れすぎたかな、と感じていたとき、アジサイの花を見てフッと〈紫陽花〉と書いてみました」。次の日も、その次の日も心に浮かぶ言葉を書にしたという。「それを写真に撮り、なんとなくツイッターにアップしました。そして、毎日やってみようと思うようになりました」と当時を振り返る。
そのつぶやきに反応したのが、静岡に住むデザイナーの関野洋介さんだ。彼の提案で、交替にお題を出し、その言葉をそれぞれのスタイルで書くというツイッター交換が始まった。そのうち、二人だけでなく仲間を増やそうということになり、関野さんの父で書家の冬柿さんが加わり、同じく書が好きな瀧澤さんの父、下井忠彦さんが参加するようになる。そして、今では書が好きというだけが共通の、仕事も住むところも、年齢も20代から80代と異なる20人余りが集うサロンに成長した。
メンバーの一人、語学講師でイラストレーターの前田純子さんは、多忙ながら充実した毎日を送るアラフォーだ。「毎日の書は、多忙な生活の中でずれてしまったものを元に戻す時間です」という。「初めは立ったまま絵の具で書くこともあったのですが、今はちゃんと座って墨で書いていますよ。キチンと生活しようと思うようになりました。食事もキチンとするとか…」と笑った。「禎子さんからコメントが届くとアタリ!と思いますね。ユーモアがあって、しかも核心をついていて、こちらの心境を見透かされるような気がすることもありますが楽しみです」
左から 前田さん、瀧澤さん、下井さん(写真・大紀元)
80代には見えないスポーツ好きの下井さんにとっては、「一点xun_齒曹ヘ、もう日課のようなものです。心の落ち着く時間、心のよりどころと言えますね」「自分の納得のいくものを書きたいと思います。下手は下手なりでいいのです」と。
毎日メンバーから届く書を見てコメントを返信する瀧澤さんは、「書を見ると人柄、心境などいろいろなことが分かります。気持ちの入っている書には気持ちが伝わる。そんな時には、ツンときましたとコメントしたり…」と話す。
瀧澤さん自身も日々コメントを受け取る。それはWEBではなく、巻紙に行書の手紙で届く。発信人は、瀧澤さんが書に限らず人生の師と呼ぶサロンのメンバー、関野冬柿さんだ。軽妙洒脱な語り口で、ときに楽しく、ときに厳しい言葉もある。「返事はやはり、巻紙に行書で書きます」と瀧澤さん。
冬柿さんから毎日届く巻紙の手紙(写真・大紀元)
将来、メンバーが増えたらどうしますかと問うと、「それは考えないでもありませんが、成り行き次第ですね」とあくまで、しなやかな瀧澤さんだ。
(いい書我が書。とっておきの一書。2013年2月)