【漢詩の楽しみ】 漢 江(かん こう)

【大紀元日本4月28日】

溶溶様様白鴎飛
緑浄春深好染衣
南去北来人自老
夕陽長送釣船帰

 溶溶(ようよう)様様(ようよう)白鴎(はくおう)飛ぶ。緑(みどり)浄(きよ)く、春深く、衣を染めるに好(よ)し。南去北来(なんきょほくらい)、人自(おのずか)ら老ゆ。夕陽(せきよう)長くして、釣船(ちょうせん)の帰るを送る。

 詩に云う。漢江の雄大な流れは、水がゆたかで、水面がゆらゆらと揺れ、その上を白い鴎が飛んでいる。両岸は緑の清らかな春の盛り、まるで私の衣を染めてしまうかのようだ。ああ、こうして南へ北へと行き来しているうちに、人はいつしか老いてしまうのだなあ。夕陽が川面に長く引いて、漁師の船が家路を急ぐのを見送っている。

 晩唐の詩人、杜牧(とぼく、803~852)の作。

 漢水(かんすい)ともいわれる漢江は、陝西省に源を発し、武漢で長江にそそぐ。その清らかな流れは、代々、詩歌のなかで称えられてきた。

 この一首は、情景と人生の両面が十分に描かれているという点で、秀逸な作品であろう。前半の二句は、漢水のほとりに立つ作者の目に映った広大な風景である。中国の川は、海のように広く、両岸の風景も雄大この上ない。その一事だけでも日本人の想像を超えるものであり、我が国の和歌とはちがう、漢詩の壮大な宇宙がそこにある。

 第二句では、深く濃い春色の風景が、まるで我が衣を染めるかのようであると詠う。ここまでならば和歌にもありがちな落としどころだが、杜牧の詩はそれで終わらない。 

 第三句は、そうした春の情景のなかに、人生の大河を見る。句中の「人」とは、おそらく詩人自身のことであり、また歴史の幾多の先人のことでもあろう。

 そして結句では、川面を照らす夕日のなかを、名もない漁師の釣り船が家へ帰るという、極めて平凡な日常の世界へ戻る。

 平凡な風景のなかに詩人が見出す深遠な人生観。漢詩の醍醐味は、そこにある。

 (聡)