【漢詩の楽しみ】 夏夜追涼(夏夜に涼を追う)

【大紀元日本8月11日】

夜熱依然午熱同
開門小立月明中
竹深樹密蟲鳴処
時有微涼不是風

夜熱(やねつ)依然として午熱(ごねつ)に同じ。門を開いて小立(しょうりつ)す、月明(げつめい)の中(うち)。竹深く、樹密なり、蟲(むし)鳴く処(ところ)。時に微涼(びりょう)有り、是れ風ならずして。 

詩に云う。夜になっても、依然として午後と同じく、うだるような暑さが続いている。そこで扉を開き、屋外へ出て、月明かりの下にしばらく立ってみた。竹が深く茂り、樹木が密に生えている根元からは、秋の虫の鳴き声が聞こえる。すると、風もないのに、かすかな涼しさを感じたような気がした。

南宋の詩人、楊万里(ようばんり、1127~1206)の作。

中国の著名な詩人は、同時に政治家である場合が多い。楊万里もそのような一人であり、身分の低い家柄ながら中央の高官まで出世して、非凡の才を発揮した。

ただ、その性格は、政治家としては良くも悪くも剛直すぎたらしい。皇帝や宰相に対して提言や諫言をはばからなかったため、初めは孝宗に愛されたが、次第にうとまれて地方官に左遷されるなどの憂き目にも遭った。それでも、つづく光宗、寧宗まで仕えた楊万里は、政界を引退したあとも憂国の情が絶えることはなかった。

一方、その詩には、不思議なほど政治性がない。冒険的にいうならば、和歌のようである。日常のスケッチや季節折々の一場面であって、鑑賞に値する美しさはあるが、憂国の激情を吐露するような漢詩特有の臭みが見られないのだ。

楊万里と同時代を生きた陸游(りくゆう)も、それに類似するところがある。ただ陸游には、農夫になって自ら畑仕事をする一面とともに、異民族の金に奪われた北方の領土を奪還せよと叫ぶもう一つの面がある。

楊万里には、その傾向は少ない。その意味で「風ならずして微涼を感じる」とは、漢詩には珍しい、文学的表現であると言える。

 (聡)