私小説『田舎の素麺』(三)
私が高校時代にサッカーでインターハイに出場したときのイレブンの写真が大きく飾られた店の二階で、夜に蚊帳を吊って息子と床に就いていると、白髪の母が豚の陶器に入った蚊取り線香をもってきてくれた。「もう三つばあばあのところに泊まったんだから、四つ目の明日の朝にはお父ちゃんと東京に戻るけんな」と剛に囁くと、「いやだ、もっとばあばあのところに泊まる」と日頃妻とのぎすぎすとした雰囲気の板挟みになっている息子がむずかりだしたので、「剛、明日また福岡から新幹線ば乗れるけんね」と母がすかさず機転を利かして切り返した。「本当?」と生来から乗り物好きな息子は目を輝かせながら機嫌を直したので、こっちが逆に感心させられて親子ともども眠りについた。
翌朝、古めかしい土蔵にある鎧と甲冑の手入れを息子と一緒に済ませてから、亡父の仏前に線香を手向けようと居間に出てみると東京に帰る私たち親子にイカ、タコ、アゴなどの海産物の干物の土産が山と積まれて用意されていた。白髪の母は喜びの気持ちを背に発しながら、トントンと朝食の膳に巻貝の味噌汁を拵え、妹のしじみはそれを盆にのっけてせっせと運んでいる。「兄さんもITだか東京だか、何だか知らないけど、お母さんだって持病もあるし血圧だって高いんだから、いつ長崎に帰ってくるやら」としじみが険を含んだ物言いをする。「俺だって、いつまでもプログラマーのままじゃなかとよ、いつかはシステムエンジニアになってみせるけん。そうしたらITの網元じゃから」と言い返すと、「そうなると、ええけどね」とそっけない返事が返ってきた。
妹のピリピリとした視線と母の慈愛に満ちた柔和な視線が入り混じった複雑な雰囲気の中で朝食を済ますと、「うちは元々網元じゃった家じゃけんね。それがお父ちゃんが早くに亡くなって、お兄ちゃんが継いでくれるとおもちょったのに」と妹が不満を鳴らすので、母が静かに手で制して、「もうそんな封建的な時代じゃなかとよ。正志には正志の人生があるけんね」と私の肩をもってくれた。妹は河豚のように膨れてヒステリックに朝食後の後片付けを始めた。
用意された土産の海産物をどっさりと持って、店頭で母に挨拶だけ済ませて出発しようとしていたら、朝の漁から戻った叔父が大きなエイを携えて挨拶にやってきて、店先で投網を補修しながら、「今年はやけにフカが出やがる」とボヤいている。気が付くと、仏間からまだ妹が恨めしい視線を送ってきているので、はたと自らの不徳に気づき、帰りの新幹線代を瞬時に計算して残りの2万円を仏壇に手ずから供えると、後ろ背から母がこちらにむかって合掌した。「そのお金で乾燥素麺とノドグロの冷凍宅急便を東京に送ってやるよ。その方がお父さんも喜ぶじゃろ」という母の言葉に、妹の険もいくぶん和らいだ。
「ノドグロじゃなく、母の爪の垢の方がいいのに。そうしたら、それを妻の夫婦茶碗に仕込めば、九州女の気骨と機転が注入されて夫婦仲も若干は改善されように」と妻の日頃の不徳を恨めしく想った。「ノドグロ、ノドグロ」と無邪気に連呼する息子の手を引いて、少々傷心の思いで故郷の長崎を後にし、福岡で東京行きの新幹線のホームに立ったとき、バッグの底に母と妹に渡すはずだった資生堂の化粧品があったのに気づいた。後悔先に立たずで自らの間抜けさに呆れたが、息子がホークスの帽子を被って笑っていたのを見た時、もしかしたら彼が後を継いでくれるのかもしれないと淡い期待感を持った。
(完)
(竜崎)