戦国時代、魏国と楚国をまたぐ地域ではスイカの栽培が盛んだった。魏国のスイカは成長が早く、大きくて美味なのに対し、楚国のものは成長が遅く、小さい実しか収穫できなかった。その原因は、魏国の農民たちが勤勉でスイカ作りに精を出している一方、楚国では水さえあまりやらないほど怠けていたからだった。
楚国の県令(今でいう知事)は農民に対して、畑仕事をきちんとするよう厳重に注意した。厳しい指摘を受けた楚国の農民たちは、魏国のスイカと比較されたからだと愚痴をこぼし、しまいにはその不満の矛先を魏国の農民たちに向けるようになった。
「魏国のやつらのせいだ」「そうだ、そうだ!やつらのスイカがまずくて、こんなに大きくなければ、俺らも厳しく注意されなかった」「どうにかしなくてはならない」と楚国の農民たちは口々に不満を訴え、自分たちのことを顧みることもせず、議論すればするほど腹を立てた。
「そうだ!やつらの畑をダメにして、スイカが全部枯れてしまえば、俺たちのスイカの見栄えもよくなるじゃないか」と誰かが考えた。全員の意見が一致すると、早速農民たちは隣国の畑を荒らす計画を立てた。楚国の農民たちは当番を決め、毎晩、魏国のスイカを踏み潰し、畑を荒し続けた。しばらくすると、魏国のスイカ畑は少しずつ枯れていった。
一方、スイカ畑を破壊された魏国の農民たちは逆上した。「目には目を、歯には歯を、だ」とひどい仕打ちで報復しようとした。その中にいた一人の老人は、農民たちをなだめながら、先に県令に報告すべきだと言った。
県令は農民たちの話を聞くと、静かに言った。「我々はもっと寛容になるべきです。やったらやり返す、では切りがありません。双方の恨みがより一層増すだけで、収拾がつかなくなります」
「良い解決法があります」。県令は農民たちにその方法を明かした。農民たちは頷きながら県令の才知を讃えた。
早速、魏国の農民たちはその方法を実行した。毎晩静まり返った時に隣国のスイカ畑へ行き、水をやり、土を整えた。魏国の農民たちは、スイカ畑を壊すよりも楽しく作業ができた。時が経ち、楚国のスイカの成長は著しく、魏国のスイカと同じような大きさになった。ほどなくして、楚国の農民たちは、魏国の農民たちが毎日自分たちの畑にやってきて、スイカを育てていることを知った。
楚国の農民は感激し、また自らの行いを深く恥じた。それからは、彼らもよく働くようになった。楚国の県令もこの件に感動し、楚王に報告した。楚王は、敵対していた魏国への態度を変え、千金を用意し、友好関係を築きたいと魏国に申し込んだ。
以後、楚・魏は友好関係を築き、また両国の農民たちも仲良く、大きくて美味しいスイカを作り続けたという。
(翻訳編集・潤)
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