北朝鮮の児童虐待、国連で議論=ジュネーブ

スイスのジュネーブで10日に開催された国連児童権利委員会(UNCIRC)の会合で、 人権団体は、北朝鮮児童労働問題を報告した。 親が脱北して残された子どもへの虐待や、北朝鮮での学校での虐待、国策での強制的な無償労働など、北朝鮮の子どもの苦境が明かされた。

報告したのは、国際人権団体ヒューマンライツ・ウォッチと、北朝鮮人道犯罪を止める国際連合(ICNK)、新韓国女性連合、カレブミッションの韓国の3団体。

北朝鮮政府は70年前に児童労働を廃止したと主張しているが、韓国や他の人権機関は、いまだに学生や他の子供たちに、国策での労働に強制参加させていると指摘している。

UNCIRC は、10代の脱北者2人を証言者として招いた。18歳の女性は、15歳ごろまで、毎日強制労働に参加させられ、中学校を退学せざるを得なかったという。16歳の女性は、貧困のために家を出て、私邸での住み込みの無償の労働者になったという。

韓国の団体の調査によると、朝鮮労働党と教育省は、学校や大学と手を結び、子どもたちへの労働を強制していた。 子どもたちは、農作業やビル、道路、鉄道の建設現場で働いたり、スクラップメタル、岩石、ウサギの皮、古紙などの材料を収集し、学校で使用または販売されていた。収集量にはノルマがあり、満たない場合は罰金を支払う制度があるという。

2014年、北朝鮮の人権状況に関する国連調査委員会は、「現代世界の水準ではない」と同国を批判した。そこには、中国人の配偶者として拉致される北朝鮮の少女、人身売買や売春、幼少時の自由の欠如などが列挙された。

(翻訳編集・佐渡 道世)

 

 

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