危険を顧みない

【二十四孝】鹿の乳を搾り取る息子

春秋の時代、郯子(たんし)という若者がいました。彼は年老いた両親と暮らし、心を尽くして彼らの世話をしていました。両親は共に目を患っており、郯子はとても気になっていました。しかし、彼はいつも「ご安心ください。必ず何とかします」と言って、両親を慰めました。

ある日、郯子は鹿の乳で目の病気を治せるという話を聞きました。彼は早々に家を出ると、町で鹿の皮を購入し、危険を顧みず山奥に入って行きました。

鹿の皮を被った郯子は鹿の群れを見つけると、すっとその群れに紛れ込み、母鹿から乳を搾り取りました。家に持ち帰って両親に飲ませ、病状が改善するよう祈りました。その後、郯子は毎日山奥に入り、同じ方法で母鹿の乳を絞りました。

ある日のこと、郯子が鹿の群れに紛れていると、突然2人の猟師が現れました。猟師たちがまさに彼を目がけてを放とうとしたところ、郯子が慌てて「待ってください!」と叫びました。猟師が動きを止めると、そこには鹿の皮を外した郯子が立っていました。郯子は、猟師たちに事情を説明しました。

彼の孝行心に感動した猟師たちは、自ら持っていた鹿の乳を彼に差し出しました。

(翻訳編集・豊山)

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春秋時代、曽參(そうしん)という人がいました。彼は非常に親孝行で、いつも両親の好みに合わせて食事を作っていました。曽參の父親が亡くなると、曽參は羊棗(やんつぁう、柿の一種)を二度と口にしなくなりました。曽參の父親が大好物だったからです。
中国の漢の時代、千乗(現在の山東省博興県)に董永(とう えい)という人がいました。彼は幼くして母親を亡くし、父親と二人で田を耕し貧乏暮しをしていました。董永は非常に親思いで、子どもながら常に父親の負担を軽減させようと、自らたくさんの農作業を引き受けました。