孫子兵法「将、外にあっては、君命も奉ぜざるあり」
紀元前500年前、中国の春秋時代の軍事家・孫子が残した『兵法』に記されている「将在外,君命有所不受」。これは実際に孫子が呉王の命令に背いて、呉王の二人の妃を殺した時に言った言葉でした。なぜ孫子は王の命令に背いてまで妃を殺したのでしょうか? また愛する妃を殺された王をどのように納得させたのでしょうか?
女官を訓練するよう命じられた孫武
孫武(孫子)は書き上げた『兵法十三編』を呉王に差し出したところ、無名だったため能力を疑われました。「女官たちを訓練して能力を示せ」これが孫武に与えられた試練でした。
命じられた孫武は、まず女官たちを左右二つの軍に分け、それぞれの長に呉王が愛する二人の妃を任命しました。
しかし長として選ばれた2人の妃は、ヘラヘラとはしゃいでばかりで孫武の命令に全く従わず、他の女官たちも腹を抱えて大笑いしている始末。
仕方なく孫武は、命令を聞こうとしない2人の妃を殺すことにしました。
呉王の使いが慌ててやってきて、「あなたが私の愛する姫を殺せば、私は食事を食べても味がしない。孫武将軍の軍を指揮する能力を認める。2人を許してやってくれ」と、皇帝の命令が伝えられました。
それを聞いた孫武は「軍に冗談はない。将、外にあっては、君命も奉ぜざるあり」と言ってその二人を殺しました。
その後、太鼓を打てばすべての女官は従い、軍の練度は飛躍的に高まったのです。
訓練を終えた後、孫武は呉王に報告するために宮殿を訪れましたが、二人の妃を殺された呉王は不機嫌でした。
孫武は恐れることなく「賞罰言明、軍事は法に則(のっと)るのが常であり、軍を治める法則です。このようにすれば兵は必ず命令に従い、必ず敵を打ち破り勝利を得ることができます」と説明しました。
呉王もまた度量のある王でした。この話を聞くと呉王の怒りは消え、孫武を将軍に礼拝しました。その後、呉は孫武の兵法によって春秋時代の五覇の一つになったのでした。
(編集・文亮)