Shutterstock

未来の娘を夢見ていた男性、数十年後に娘を見て驚愕

米国アーカンサスの農場で育ったウォルト・マニスは、幼いころ、将来自分のとなる少女の姿を思い描いていました。結婚後、彼は子どもを持ちたいと思っていましたが、長年子供に恵まれませんでした。あきらめようとしたときに、ウォルトと妻のアニーは、その後の彼らの人生を変えることになる女性に出会ったのです。

10歳の頃に見た未来の娘の姿があまりにも鮮明で、ウォルトはその娘の漆黒の髪やオリーブ色の肌、そしてクロエという名前まではっきりと覚えていました。

長年の間、ウォルトがその幻影を忘れることはなく、娘を持つことを確信していましたが、なかなか子どもに恵まれず、アニーとともに子どもを授かる日を心待ちにしていました。

長年子どもに恵まれませんでしたが、アニーは娘の名前をすでに考えていました。その名前はクロエだったのです。ウォルトは仰天して、彼が子どもの頃に見ていた夢の話をアニーに伝えました。二人とも驚き、二人が結ばれたこと、そして娘クロエのことは運命だったのだと感じました。

4年経っても子どもに恵まれなかった二人は、生涯子どもを持てないかもしれないことを不安に感じて、養子縁組を決めました。そして、ある日アニーは、養子縁組の代理人から、女の子の赤ちゃんが見つかったというメールを受け取りました。

ウォルトとアニーは、娘となる女の子の実の母であるアリソンに会うことにしました。身重のアリソンを見たウォルトは、驚きました。彼女は、夢の中の少女がそのまま大人になった女性だったのです!

でも、話にはまだ続きがありました。アリソンが心の中で決めている赤ちゃんの名前を口にしたとき、アニーは思わず泣き出しました。なぜでしょうか? その名前が「クロエ」だったからです。

ウォルトとアニーは、長年待ち続けた娘についに出会えたのです。クロエが誕生した2010年2月17日、ウォルトは何十年も待ち焦がれた娘の姿を目にすることができました。

二人は親になれたことを大変喜びました。あきらめかけたときもありましたが、最後まで希望を捨てませんでした。

この信じられないような話は、私たちに教えてくれます。物事が起こるのは必然であり、それには理由があるのだということを。

(大紀元日本ウェブ編集部)

関連記事
釈迦牟尼佛が父王の死に際し、人生の無常や執着を超える道について語り、難陀に出家を促すまでの感動的な物語。
断食の基本は「賢く食べること」 老廃物を輩出し、細胞を健康にして免疫力を高めるために、食べない時間を決めることなのです。顔中に吹き出物があった人が断食をして、吹き出物がきれいに消えた人を見たことがありますが、本当に美しい肌になりました。
香港で唯一の「レゴ認定プロビルダー」の洪子健さんのチームは最近、長さ26メートル、幅1.78メートルの中国絵画の至宝「清明上河図」を再現し、ギネス記録に認定した。
歳を取れば更年期障害。しかし、心を磨いてきた人にはなんてことはない。気分が軽いということは執着が少ないということ。どんな欲望や執着に対しても、離れて淡々とすると、体は軽くなる。
プロのテクニックで南向きの窓もピカピカに!筋を残さず仕上げるためのスキージー技術と道具の選び方を解説