慈母手中線、遊子身上衣。「慈母(じぼ)手中の線、遊子(ゆうし)身上の衣」と読む。唐の詩人、孟郊(もうこう)の作で、日本でもよく知られた漢詩の一節である。
▼この詩は「遊子吟(ゆうしぎん)」と呼ばれている。作者の孟郊は、官吏登用試験である科挙を何回受けても合格できず、ついに中年(昔なら初老)の年齢になっていた。45歳でやっと合格するのだが、この詩のなかの「遊子」とは、試験を受けるため会場へ行く旅路の作者自身を指す。
▼ここにも息子の無事を祈って旅着を縫う、心優しい老母がいる。針と糸で、ひと目ずつ、心を込めて縫い進む手中の線は、万国に共通する母親の慈愛にほかならない。
▼日本で最初にミシンを使ったのは明治の頃、第13代将軍・徳川家定の正室であった天璋院だったという。それも特別な身分だったからで、足踏みのミシンが庶民のもとに届くのは昭和に入ってからの、しかも戦後のことだった。
▼それまでは、母も、祖母も手縫いだったなあと、筆者の幼少時代を振り返ってもそう思う。お針箱という裁縫道具一式が入った木箱が、なかなかの威厳をもって座敷の一隅にあった。祖母の目を盗んで開けば、何年も使ったような縫い針、まち針、にぎり鋏などがあって、小さいながらも城を守る女武者の得物にも見えた。
▼針は、針山という小さなザブトン状のものにたくさん立てられている。針山ごと手に取ってみると、その底を触れる指へ、針先の鋭さが感じられてちょっと怖かった。2月8日は折れた針に感謝して供養する針供養の日。その優しい気持ちが、とても好きだ。
【紀元曙光】2020年2月8日
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